「オレはエンタメで行くんだ」と思っていた
――もともと実況をされていて、そこから報道の世界に行くことに抵抗感はありませんでしたか。
「怖かったですよ。ニュースを読むのとキャスターは違いますから。最初のオファーから2年半から3年くらい断っていました。怖いし、“オレはエンタメで行くんだ。実況&司会業&しゃべり屋、『トーキングブルース』で行くんだ”と思ってましたし。だけどここで勘が走った」
――勘が。
「45歳を超えてきて、NHKで紅白の司会を3回もさせてもらった。当時の紅白の司会といえば、司会者のファイナル、終着駅のような感じがありました。それを3年もやらせてもらったことも含め、このまま行くと下降線になる気がしたんです。リスクが大きくても新しいことに着手しないと、新陳代謝できない。レギュラー番組もありましたし、仕事はある。お腹いっぱいでしたが、このまま行くとダメになると。それで、あえてやったことのない報道をやってみようと、そうじゃないと生まれ変われない。第二の人生に入らないと、と思ったんです」