蔵前国技館最後の場所

 こうして始まった「蔵前国技館最後の場所」は、3日目から横綱・北の湖が休場。10日目を終えて、1敗で大関・若嶋津(元松ヶ根親方)、平幕・多賀竜(元鏡山親方)、2敗に横綱・隆の里(元鳴戸親方)、千代の富士(元九重親方)、大関・琴風(現解説者)、関脇・大乃国(現芝田山親方)、平幕・小錦が続くという混戦模様となった。そして、12日目には、優勝争いが多賀竜(1敗)、若嶋津、小錦(2敗)に絞られ、14日目には小錦さんが千代の富士を初対戦で下して、賜杯の行方は、1敗の多賀竜と2敗の小錦のいずれかという状況になった。

 この場所は、187センチ、215キロの「小錦パワー」が炸裂。幕内力士はタジタジとなった。ただ、「入幕2場所目、ハワイからやってきた弱冠二十歳の力士に、そう簡単に優勝されてたまるか!」という、ベテラン力士たちの意地もあった。

 小錦の千秋楽の相手は、大関・琴風。
 ここで琴風が勝ち、小錦が3敗になれば、自動的に多賀竜の優勝が決まる。

「俺が日本人力士の意地を見せてやる!」

 大関の強い意地から、琴風はすくい投げで小錦を土俵に鎮めた。この瞬間、小錦の優勝は消滅したものの、殊勲賞と敢闘賞をW受賞。「小錦旋風」が吹き荒れた場所となった。

 新国技館での本場所が始まり、「サンパチ組」の北尾、保志が三役に。そして、寺尾や琴ヶ梅が新入幕を狙っている中、86年春場所、小錦は小結で12勝をマーク。関脇に昇進した翌夏場所8日目は、ライバル・北尾との対戦が組まれた。

「準優勝した蔵前最後の場所の後、肩を痛めてしまって……。自分でも、この勢いでバーンと上に行けるんじゃないかと思っていたんだけど、そう甘くなかったね(笑)。同学年の北尾は、特に負けたくない相手だったから、この対戦は気合いが入りまくっていた。
 最初の相撲では、突っ張っていったけど、土俵際でもつれて、同体、取り直し。取り直し後の一番で押し合いから、僕は土俵際で北尾の寄りを堪えていたけれど、北尾の体が圧し掛かってきて、僕はヒザから落ちてしまったんです」