伝説の深夜番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(1989年2月11日~90年12月29日/TBS系)、通称「イカ天」は空前のバンドブームを巻き起こした。毎週土曜の深夜1時~3時という時間帯にもかかわらず、最高視聴率は7.8%という、いまでは考えられない驚異的な数字をたたき出した。
 その第3代グランドイカ天キングが「たま」。個性あふれるメンバーの中でもランニングシャツ姿でパーカッションを演奏した石川浩司は、バンドだけでなくイカ天ブームそのものを象徴する存在だった。
 バンド解散から20年。ミュージシャン石川浩司の「THE CHANGE」とはーー。
【第1回/全5回】

石川浩司 撮影/有坂政晴

いきなり忙しくなったので、とりあえず事務所に入った

 白いランニング姿の石川浩司さんは、とにかく絵になる。駅前にたたずむ姿はオーラをまとっているが、いざ語りはじめると、まったく構えることなく、常にニコニコとこちらの質問に答えてくれた。

「デビューして2年くらいは、『たま』だけで忙しくて手一杯だったので、他の活動はしていなかったんですけど、その2年間だけは特殊だったんです」

 1984年に3人で結成した「たま」は、2003年に解散するまで19年もバンド活動を続けている。“特殊”だったという2年間は、「たま現象」とも呼ばれる社会現象的な人気を獲得した90年代はじめのことだ。

 89年の「イカ天」出演を契機にメジャーデビューし、シングル『さよなら人類/らんちう』は売上約60万枚を記録、90年のNHK紅白歌合戦にも出場した。多忙を極めた時期で、なにもかもが目まぐるしく動いていた。

「いきなりすごく忙しくなっちゃって、最初はレコード会社との契約とかそういうこともよく分からなかったので、とりあえず知り合いが所属している事務所に入ったんです。P.C.Mという『筋肉少女帯』とか『GO-BANG'S』とか『有頂天』とか、そういうバンドがいた事務所です。

 でも、契約期間の2年間所属したあと、もう独立して自分たちで有限会社を作っちゃって、そこからセルフマネージメントでやり始めたんですよ。当時ネットもなかったから、途中に悪意がなくても、伝言ゲームのように人を全員回っていくうちに、思っていたことと違う結果になることが多かったんです。
 たとえばCDのジャケットをこうしたいみたいなのがあっても、反映されなかったり……。“自分のしたいことだけをしたい”というのがメンバー間で共通してあったんですね」

 特殊な2年間を過ごしたあと、メンバーは徐々に元の生活に戻っていったという。

「僕らもあのとき10代だったら、そのまま大人に言われて変になってたかもしれないですけど、売れたとき年齢的には20代後半、もう30に近かったので、こんなのに浮かれるのはやめようと。最初からこれは一過性のものだから、今“わーっ”て言ってるけど、本来そういう音楽じゃないし、と、そこは結構メンバー内で確認し合っていました。

 “やりたくないことはあまりやらずにいこう”とか、“ここはちょっと妥協してやっとくか”という、そういうのもバランスをとりながら、“落ち着こう”というのを、常にメンバー同士で確認し合ってやっていたんです。

 『イカ天』に出る前にもみんな『たま』をやりながらソロもやってたし、他のユニットみたいなのもやっていた。それが元に戻ったような感じでやっていたら、だんだん『たま』よりも他のバンドとかが忙しくなって、メンバー同士のスケジュールが合わなくなっちゃったんですよ」