50年前にバナナを食べたおいしさが自分の中で大きな衝撃だった

 そうして天気を伝えていく中で、大きな転機となったのは天気予報の“自由化”です。それまでは気象庁以外が予報してはいけなかったのが、1994年に気象業務法が変わってからは、気象予報士の資格を取れば、誰でも予報を出せることになったんです。

森田正光 撮影/中地拓也

 ただし、自分で天気予報をやるとなると、天気を予測するための情報を得なければいけなくなる。つまりは会社が必要になって、それで気象会社を作ろうと思ったんです。それが、『ウェザーマップ』ですね。気象予報士も募集をかけたら、今の社長を務めている森朗も入ってきてくれて。今では160人ほどが関わっています。だから、自分の人生だけでなく、他の人の人生まで変えるような出来事だったんですよね。

 今ですか? 今は沖縄の島バナナに凝っています。東京に出てきたあとに、気象協会の友達と石垣島に一緒に行って、そこで初めて島バナナに出合ったんです。50年前はバナナを食べるだけでもめったにないことだったんですが、そのときに感じたおいしさが自分の中で大きな衝撃だったんですよ。

 僕自身の健康寿命はあと数年だろうから、今は無農薬の「沖縄の島バナナ」の育成普及に捧げたいと思っているんですよ。

 先ほど渡した名刺は2枚ありますでしょ? その1枚は、「一般社団法人 島バナナ協会」の代表理事としてのものです。安定栽培の難しい島バナナを次世代に伝えていけるように、頑張っていきたいと思います。

森田正光(もりたまさみつ)
1950年4月3日、名古屋市生まれ。高卒で日本気象協会勤務。20代で東京転勤になって、ラジオテレビの気象予報を。40代で独立して、ウェザーマップ社長。今では160人の予報士と契約する。現在も週1のテレビ出演(TBS)で、予報士歴は50年になる。趣味に沖縄の「島バナナ」の栽培販売など。