3回のオリンピックを経験し、2001年の世界陸上ではスプリント種目の世界大会で日本人として初のメダルを獲得した為末大。競技への思考の深さから「走る哲学者」と称され、現役を引退してからはスポーツに関してのさまざまな提言で、たびたび話題になっている。スポーツに向き合ってきたその人生には、どんな「CHANGE」があったのだろうか。
【第3回/全5回】

為末大 撮影/三浦龍司

本番のレースでスパイクの貸し借り

 為末大さんは法政大学を卒業後、大阪ガスに所属したが、2004年にプロに転向している。いわゆるフルタイムのプロ陸上選手としては、日本人で第一号。収入や競技環境の安定した実業団所属から、プロに転向した理由はなんだったのだろう?

為末「シドニーオリンピックの後に、海外でのレース参戦を増やしたんですが、そこでの経験は大きいものでした。海外のレースに参加している選手、見聞きしたところでは南米系の選手たちは、そこで稼いだお金で冬を過ごす、季節労働者のような暮らしなんですけど、競技では強いんです。
 粘り強いというかタフというか、あのぐらいにならないと世界で勝負できないと考えるようになりました。企業に所属していると、完全に自由に海外へ行き来できないこともあり、それなら、とプロになることを決めたんです」

 タフな選手が集まる海外のレース。その環境もまた、タフだったようだ。
為末「飛行機で移動することが多いんですが、当時はロストバゲッジで、荷物がなくなることが多かった。陸上競技なのに、スパイクシューズがないまま競技場に来て、他の選手のを借りて出場する選手もいたくらいです。
 僕が貸したことがあるのは、もう時間も経っているので話して良いと思うのですが、アメリカのデニス・ミッチェルっていう有名な選手(※バルセロナ五輪の100m銅メダリスト。4✕100mリレー金メダリスト)です。彼がスパイクがないというので、僕のを貸したんです。ほかの荷物もなくしてしまって、ウェアもないからパジャマみたいな格好で出ていました。走れば早いんですけどね。ただ、そういう感じで、選手同士がみんな仲が良くなって、毎回面白かったですね」