「どうしても歌が歌いたくて…」自動車の整備士から名古屋の大箱キャバレーに転職
実家は三重県鳥羽市の貧しい漁師一家でした。4人兄弟の、私は3番目。6歳上の鳥羽一郎が遠洋漁業で稼いでくれたおかげで、私や妹が学校を卒業できました。中学校卒業後には、職業訓練校で寮生活を送って自動車の整備士として就職したのですが、どうしても歌が歌いたくて、姉の紹介で名古屋の大箱キャバレーに転職したんですよ。
というのも、中学生から、五木ひろしさんにとにかく憧れていたんです。『よこはま・たそがれ』こそ、男の魂の叫びじゃないですか。寮生活でも、壁に五木ひろしのポスターを貼っていました。友人はみんな、矢沢永吉だ、アイドル歌手だと言ってましたけど、私の中では五木さんが一番だったんです。
キャバレーのキッチンでキャベツを切りながら、時間外には出演バンドの演奏に合わせて歌わせてもらって。そんなあるとき、ここで行われた歌謡大会に出場すると、なんと優勝してしまったんです。しかも、会場に芸能関係の人がいて「東京に来る気があるなら、面倒見るよ」と声まで掛けてもらって。
そのとき、付き合っていた彼女もいましたが「チャンスには乗ったほうがいい」と言ってくれて、別れて東京へ。最初の1年は社員扱いで、村田英雄さんや、松山恵子さんの付き人をやらせてもらって、かばん持ちをしていました。
翌年になると、所属プロが決まり、そこでデビュー曲の『函館本線』という楽曲をいただきました。23歳のときです。当時の私は北海道に行ったことすらなかったのですが、後に、函館から旭川まで鉄道で移動することがあって、冬に雪が吹きつける車窓の風景を見て「これが失恋の女心か」と思ったものですよ。
この曲の営業のための酒場回りは、毎日、延々としました。飛び込みばかりでしたが、そこでこの曲を受け入れてもらって、ヒットへの弾みがつきましたよね。
つづく
山川豊(やまかわゆたか)
1958年10月15日生まれ(67歳) 本名、木村春次。三重県鳥羽市出身。4人兄弟の3番目で、長男は演歌歌手の鳥羽一郎。23歳のときに、『函館本線』でデビュー。NHK紅白歌合戦には11回出場。一昨年、肺がんであることを公表し、投薬治療しながら活躍している。