兄は演歌歌手の鳥羽一郎で、23歳のときに『函館本線』でデビューした山川豊。NHK紅白歌合戦に11回出場した実績を誇る彼は一昨年、肺がんであることを公表し、投薬治療しながら活躍している。そんな彼のTHE CHANGEとはーー。【第2回/全2回】
私のデビューから1年後に、兄貴も漁船を降りて歌手デビューしました。その『兄弟船』が大ヒットして、ここまでは2人とも運は良かったのですが、翌年から私だけ急下降。悪い期間が続いた中で、でも、5年目にようやく1回だけ紅白歌合戦に出場することができました。紅白は演歌歌手にとって最高の勲章ですから、嬉しかったですね。
ただ、その後も低迷は続きます。それでも歌手を続けていると、さらに5年たった頃に、『しぐれ川』という曲に巡り合いました。デビューして10年。私は演歌界でもすでに忘れられた存在だと思い、これがヒットしなかったら「歌手をやめます」と、事務所の社長に宣言しました。
このとき、33歳でしたが、デビュー時と同じように、再度、夜の酒場での飛び込み営業をしました。「帰れ」と言われても、何とか歌わせてもらう。そういう自分の決死の覚悟が実を結んだのか、この歌が私の中で一番売れた曲になりましたね。
その翌年には『夜桜』という歌に出合って、これで紅白に返り咲きすることができ、それから10年連続、合計11回出場という記録を積み重ねることができました。
私生活も、いろいろありましたね。30代半ばで結婚して一男一女に恵まれましたが、ちょうど、演歌で忙しいときでしたから、父兄会やら参観日はどうにか出席しても、でも、他は妻任せ。そして数年前、妻から「離婚したい」と言われたんです。結婚30周年の節目でした。
「子育てが終わったし、私も自由になりたい」
こう言われて、自分が子育てにほとんど関わってこなかったことに、遅ればせながら気付きました。典型的な「熟年離婚」ですね。