お笑い芸人であり、大喜利作家として注目されている赤嶺総理。彼女が大喜利に出会ったきっかけであるTHE CHANGEに迫るーー。【第1回/全2回】

赤嶺総理 撮影/河村正和

 人生で初めての大喜利は、ハガキで。14歳のとき、弟妹で読んでいた『週刊少年ジャンプ』にあった読者投稿コーナー『じゃんぷる』へ投稿したんです。「アホ板」という企画だったかな、ペンネームは本名と語感の似た「赤嶺総理」にして、試しに1個送ったんです。「優雅なカンニングの仕方」というタイトルで、“テスト中の教室で、お姫様がオペラグラスで答えを見ている”というイラストを筆ペンで描いて送ったところ、なんと掲載されて500円分のクオカードがもらえて。「ハガキ代50円が500円になった! しかも掲載されたらポイントがついて、上位になるとゲーム機がもらえる!」と、それを目当てに毎号送るようになったんです。ネット投稿を受け付けるようになってからも、私はずっと手書きで郵送していました。「肉筆のほうが、選ぶ側が面白いと感じるのでは」と思っていたから。

 それからは『着信御礼! ケータイ大喜利』(NHK)が始まり、ラジオの存在を知り、各所にコツコツと送り続けました。ジャンプはお題につき10個、ラジオは5個とか。市販のハガキじゃ追いつかないので、画用紙をたくさん買って自分でハガキ大に切って、封書で送っていました。戦略……とまではいかないけど、何万投稿とある中で目に留まるように、必ず選ぶ側のことを想像していましたね。「これは旬な時事ネタだから載せやすいだろうな」「紙媒体では短めにしよう」「お題が『遊園地』ってことは、きっと多くの人がアトラクションについて書くだろうから、私は“帰り際”について書こう」とか、投稿先のメディア全体のバランスを考えて回答を出していました。

 15歳のとき、ついに『ジャンプ』で優勝しましたが、賞品はノートパソコン。「ゲーム機じゃないのか……」とガッカリしつつも、おかげで赤嶺家にインターネットが開通し、投稿ペースが上がりました。その後、PSP(プレイステーション・ポータブル)を2台もらったので、弟にあげたり、お金に変えて切手代にして、また投稿……なんてやりくりしていましたね。