わずか8歳で囲碁と出会い、連戦連勝。13歳という異例の若さでプロ棋士となり、20歳で初タイトルを獲得。その後も本因坊、名人、そして初代・世界チャンプへと上り詰め、実に24期ものタイトルを獲得した“不世出の天才棋士”、武宮正樹。
盤上を広大な宇宙に見立てるその自由奔放で圧倒的なスケールの碁は、いつしか「宇宙流」と呼ばれ、世界中のファンを魅了した。伝説の「木谷道場」での内弟子時代から、初代世界王者となった絶頂期、そして情熱的なアルゼンチンタンゴの調べに身を委ねる現在まで。規格外の天才・武宮正樹のTHE CHANGEに迫るーー。【第1回/全2回】
私は囲碁の棋士ですが、私の父親は、新小岩という東京の下町で開業する、内科医でした。
父は鹿児島の奄美大島から千葉大に進んで医者になったんです。私には兄がいましたが、幼くして病死し、その下に姉が2人いて、いちばん下が私です。本来なら、医者を継いでもおかしくなかったのですが、私は、毎日、学校から苦情の電話がかかってくるくらいのワンパク坊主だったんです。
それで父は私を8歳の誕生日――正月元日です――に、初めて碁会所に連れていきました。和室に正座して、相手と挨拶を交わして囲碁の対局に臨むようになれば、落ち着くようになると思ったようです。
実はうちの家系は、祖父の代から、かなりの囲碁好きでした。父も、医院に来る患者をそっちのけで、対局する私の隣で棋譜を取るほど、囲碁が大好きだったんです (笑)。
そんな父だったので、母も苦労しましたね。そうした親の支援のもと (笑) 、私も碁会所に通っていましたが、翌年、指導碁に来たプロ棋士が、私のことを「この子は将来プロになれるかもしれない」と言ったものだから、父は舞い上がったようです。
その後、田中三七一(みないち)八段に師事し、日本棋院の院生になり、13歳でプロ試験に合格しました。その頃でしたねえ、田中師匠が、当時四谷にあった木谷實道場に「生みの親は私ですが、育ての親になりませんか」と、私を推薦してくれたのは。木谷實先生は囲碁界の神様のような人で、日本中から囲碁の天才少年をスカウトして、内弟子にしていたのです。韓国出身の趙治勲(ちょうちくん)さんも6歳で母国を離れて、ここの内弟子になっていました。
囲碁は大陸発祥ですが、当時の日本は中韓を超えて世界最強だったのです。私は義務教育の間は通いでしたが、中学を卒業してからは実家を離れて、木谷實道場に住み込むようになりました。若い才能を高めるには、高校に通って消費するより、即実践という時代だったのですね。