道半ばで逝った兄。日本一になっても「新聞で2行」の挫折と芸能界への覚悟
「馬鹿なこと言うなよ!」と大喧嘩になったんですけど、頑なな兄は高校に進学せずに芸能人の付き人になった。兄は私のために高校進学を諦めたと、後に聞きました。その兄が、私が大学生のとき、やっと俳優の仕事ができるようになった頃、末期がんが見つかって1年ほどで亡くなってしまった。最後は、(坂上)忍さんのカバン持ちをやっていたんです。
そんな道半ばで夢を閉ざされた兄の遺志を継ごうと思ったのが、芸能界に入るきっかけでしたね。
そのためにも、まずは十種競技で日本一を取ろうと誓って、1997年の日本選手権に優勝して日本チャンピオンになったんですが、マイナー競技だったこともあり、それだけでは有名になれなかった。日本選手権で優勝したのに、新聞に載ったのは2行。「十種競技 【優勝】 武井壮 7606点」だけですよ。
一方、同い年で当時オリックスだったイチローさんは三振してもスポーツ紙の一面になるし、億の年俸を稼いでいた。“日本一”より“三振”のほうが大きく載るって……そこで、多くの人が楽しむメジャースポーツをやっておこうと決めました。
30歳になったら芸能界入りの準備を始めると決めていたので、それまでに番組でも多く扱われるメジャーなスポーツ、野球とゴルフをやっておこうと考えました。
そこで、まずは日本一の知名度を活かしてゴルフからスタートしようと決め、スポンサーを獲得してアメリカへ武者修行に。3年後にはアンダーパーで回れるようになり、そこでゴルフをいったん休んで、次は野球、台湾プロ野球のコーチを経て、その後、投手として入団させてもらった『茨城ゴールデンゴールズ』で運命的な出会いがありました。それが、極楽とんぼの山本圭壱さんとの出会いです。