街に出たときに、ほとんど人生で初めて息苦しさを感じた

 そう話したあと、吉本さんは「自分のことでひとつ思い出したんですけど」と切り出した。

「私は割と若い時から人前に出てきたから、たとえば男の人と別れた次の日とか、みんな知ってるわけじゃないですか。全員ではないにしろ、相当の数の人が“あの人、昨日別れたんだよ”って知っていて。

 新聞とかに載るから、そういうのにすごい慣れてて割と何とも思わず、“はいはい”って感じだった。でも、父が亡くなったときは、けっこう大々的にニュースになってしまって」

吉本ばなな 撮影/湊亮太

 吉本さんの父・吉本隆明は戦後思想界の巨人として知られている。詩人、批評家として活躍し、2012年3月に亡くなった。

「自分に対して、みんながめちゃくちゃ気を使ってる感じが息苦しくて。街に出たときに、ほとんど人生で初めて息苦しさを感じたんですよ。

 父が亡くなってから1,2週間くらいですかね。よく行くカフェのママが、なんにも言わなかったんですけど、ただコーヒーを持ってきて“お寂しくなりますね”って、ひとことだけ言ってくださって。

 それがすごく沁みて。会った人はみんなあえて言わないようにしていて、“あの、お父さんのことお悔やみ申し上げます”とか言ったあとは一切それに触れないみたいな感じで、とても固い時間に感じてたんですけど、そのときはすごく言ってもらってよかったと思いました。

 すごくわざとらしく気づかうわけでもなく、でも何も言わないってことでもなくて。静かな思いやりがすごい伝わってきました」

吉本ばなな 撮影/湊亮太

 何気ない思いやりをかけられた側として、義理堅く覚えている。登場人物の繊細なやりとりが人の心をつかむ、吉本さんの作品が生まれる理由のひとつかもしれない。

吉本ばなな(よしもとばなな)
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞<Under35>、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『はーばーらいと』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。