ここまで劇的に変化した芸人は、かつていなかったのではないだろうか。マシンガンズ滝沢秀一の人生は、芸歴16年以上の漫才師を対象としたトーナメントで一変。以来、多忙な日々が続いている。チャンスをつかみかけて逃し、新たな道を探り、そして芸歴25年目で大ブレイクした滝沢さんの「THE CHANGE」とはーー?【第3回/全3回】

マシンガンズ滝沢秀一 撮影/貴田茂和

 2023年4~6月、オードリー若林正恭南海キャンディーズ山里亮太の実話をベースにしたドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ系)が放送され、話題を呼んだ。オードリーと「漫才米騒動」というライブを開催するなど、彼らと同じ時代を生きてきたマシンガンズは、5月19日に『THE SECOND』で準優勝。芸歴25年目にして、初の賞レース決勝進出を果たしたのだ。

 滝沢秀一にとって『THE SECOND』準優勝は「THE CHANGE」だったが、もうひとつの「THE CHANGE」があった。漫才だけで食べていくことを諦め、妻子を養うためゴミ収集会社に就職。ゴミ問題を発信することでメディア露出が増えた頃、先輩の有吉弘行から叱咤を受けたという。 

――2007年から、マシンガンズ、オードリー、ナイツといった芸人で「漫才米騒動」というライブを始めました。当時、若い女の子に「ワーキャ―」言われていたチーモンチョーチュウや三拍子のライブ「漫才戦隊ネタレンジャー」に対抗して立ち上げたそうですが。

「そうです。そうです。それと、当時は僕らもオードリーもナイツも『爆笑オンエアバトル』(NHK)でオンエアされないことが多くて。そのメンバーで集まってライブをやろう、という意味合いもありました。

 2/36だったかな、数字は思い出せないんですけど、そんなタイトルにしようというアイデアもありました。要は、僕らの出演回数を合わせても36回中2回しかオンエアされなかった、ということです(笑)。劣等生の集まりでした」

――当時、マシンガンズ、オードリー、ナイツは『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)などでメディア露出が増えつつありましたが、『M-1グランプリ2008』がきっかけでオードリーとナイツがブレイクします。賞レースの大切さを実感しましたか?

「2012年にはハマカーンも『THE MANZAI』で優勝して。同世代で賞レースの決勝に出ていないのはマシンガンズくらい。若い人たちは僕らのことを“ぽっと出のおじさん”と思っているんじゃないですか?」

――“ぽっと出”だとしても、おじさんだから引き出しが多いんじゃないですか?

「引き出しが多くても、どこに入れたのか忘れているんですよね。おじさんだから(笑)」