三宅裕司、72歳。喜劇役者、司会者、ラジオパーソナリティ、そして劇団主宰。驚くべきバイタリティとマルチな才能で多様な仕事をこなす……そんなイメージの三宅さんだが、これまでの芸能生活で、人知れず苦悩を抱えたこともあった。人生を変えたTHE CHANGEとはーー。【第2回/全5回】

三宅裕司 撮影/川しまゆうこ

 第1回『Mー1グランプリ』が放送されたのは2001年。その後、2003年にはじまった『エンタの神様』(日本テレビ系)を皮切りに、ネタ番組が隆盛を極め、その流れを受けてスタートしたのが『笑いの金メダル』(2004年~2007年、テレビ朝日系)だった。

 司会は三宅裕司さん。くりぃむしちゅーの上田晋也、有田哲平のふたりを隣に据え、タカアンドトシ、ペナルティ、スピードワゴンらが飛躍し、ヒロシのブレイクを後押ししたのもこの番組だった。その後の『爆笑!レッドカーペット』(フジテレビ系)に続くショートネタブームの原点を作ったといえる番組だったが、実は司会の三宅さんは、浮かない顔をしていたという。

三宅裕司さん(以下、三宅)「はじまってすぐ、マネージャーに言いました。“辞めさせてくれよ”って。“これはもうダメだな、無理だな”と思って。ところが、事務所には、こーんなに(両腕を広げる)いっぱい事情があるわけですよ」

ーー大人の事情が……。

三宅「三宅裕司を出し続けるためとか、事務所と局との関係とかね。それは、たしかにそうなんですよね。ゴールデンタイムの番組で、そこに出るためにみんながんばって、一生懸命やっているわけですからね」

ーーなぜ「無理だな」「辞めたい」と思ったんですか?

三宅「こっちはどんどん年を取っていくなかで、これだけの芸人さんたちが出てきていて。プロデューサーたちには“もう若い人に任せて、三宅さんはいるだけでいいんだ”と言われていましたが、それがどうしてもできなかったんですよね。自分が喋っていないと不安になっちゃうから」