マスコミの態度に“そういうものなんだな”
君島「参るヒマがなかった。やらなければいけないことがたくさんありますし、慣れない主婦業もありましたし。なので、とっても充実していた、と言ったら変な言い方ですけど」
そう言って君島さんは涼やかに笑う。
突然吹き荒れた嵐も、止む日は必ず訪れる。君島さんの周辺が、嘘のような静けさを取り戻したのは、1997年、長女を出産した日のことだった。
君島「病院の前にマスコミが集まって、“出産おめでとうございます!”みたいに言われて、祝福ムードに包まれた出産会見のようになったんです。“私ってそんなことをされる女優だったっけ?”と思ったほどです」
ーーそれまでとは、全然違いますね。
君島「全然違いますよ。“アレ?”みたいな感じでした」
ーーそこで、一連の報道の終わりを感じ取ったのですか?
君島「終わりはしませんでしたが、“そういうものなんだな”と思いました」
まさに一分一秒ごとに変わるようなマスコミの態度を目の当たりにした君島さんは、恨み節のひとつも漏らさないどころか「このことで、すごく勉強させていただいた」と、驚くほど前向きだった。
君島「たとえば、近所に買い物に行くのに、着飾らないですよね? 私は主人の実家が原宿の駅前で、表参道を通って商店街に買い物に行っていました。私としては主婦の夕飯の買い物でも、場所は原宿・表参道で。そこで、化粧っ気もなく普段着で歩いていると、“うつむき加減で、不幸な眼差しで歩いていた”みたいに書かれちゃうわけです」