90年代から“美のカリスマ”として君臨する君島十和子。モデルからはじまり、美容家のパイオニアとして活動してきた彼女が今年5月30日で57歳を迎え、“アラ還”の冠がつくことには驚くばかりだ。さまざまな波乱に向き合ってきた君島さんの人生におけるTHE CHANGEとはーー。【第3回/全5回】 

君島十和子 撮影/三浦龍司

 事細かな質問項目を用意したものの、君島さんのまばゆいばかりの“美”を前に、開口一番、記者の口からこぼれたのは、「どうしてそんなにおきれいなんですか?」という腑抜けた質問……とも言えない感嘆だった。

 一瞬、口元に笑みを浮かべた君島さんは、「実は、20代の初め頃に、すごい肌トラブルを経験しているんです」と、教えてくれた。

 高校3年生のとき、「'85JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれた君島さんは、キャンペーンガール=こんがりヘルシーな日焼け肌、というイメージを疑いなく踏襲し、「キャンペーンガール時代の3年間は、とにかく本当に焦げていました」という。

君島十和子(以下、君島)「当時はお肌に対する紫外線の悪影響なんていうことは一切言われていないし、むしろ、“老若男女、夏は日焼けしましょう。それが健康です”という考え方でした。ですが、キャンペーンガールが終わったとたん、日焼け肌が必要なくなりました。

 その後、ほかの仕事、ファッション誌のモデルの仕事が入るようになると、ファッション誌って季節を先取りするじゃないですか。日焼け肌に冬物の温かそうなコートを着ても、似合わないんですよ。それで日焼け肌がお仕事の足かせになり、“この肌をなんとかしなければ”と思ったんです」

 今では、SNSを開けばあらゆる美容情報が洪水のように押し寄せるが、当時はファッション誌でさえも美容情報は乏しかった。君島さんは、出会うメイクさんから聞いたり、母親の化粧品を試したり、手当たり次第に救いを求めた。その結果……。