無名のインディーズバンドがフェスを開催して大盛況

 現在のように、バンド自らがSNSで情報発信ができなかった時代。雑誌に載っている情報だけを頼りに、世間的にはまだ無名のバンドたち(※電気グルーヴの前身のバンド『人生』なども出演していた)が、ホールクラスの会場を満員にするのは異例のことだった。

「『宝島』を読んだようなサブカル好きが集まってきて、会場もギュウギュウで盛り上がったんです。その光景を見て、“なにかスゴいことが起こっている”って感じた。でもね、世間的にみたらそんなことないんですよ。ただのアマチュアバンドだったわけだから。でも、総立ちでみんなが跳ねているような状況って、あの日が初めてだった。僕らにしてみれば、なにか起こっている! って錯覚したんです」

大槻ケンヂ 撮影/川しまゆうこ

 筋肉少女帯が颯爽と登場したインディーズブーム以外にも、90年代初頭には大きな音楽ムーブメントが起きていた。

「ちょうどインディーズブームと、ホコ天でライブをするホコ天ブーム、そこに90
年になって始まった『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)のイカ天ブームの3つがあわさって巨大なバンドブームが起きたんです。予兆として、どんどんロックバンドが世にデビューするようになった。

 最初は、有頂天、LAUGHIN’ NOSE、THE WILLARDというインディーズ御三家と呼ばれたバンド。その後は、BUCKーTICKやX(現:X JAPAN)と続いていった」

――筋肉少女帯のメジャーデビューが決まった瞬間は覚えていますか?

「ある時、レコード会社の人に喫茶店に呼ばれたんです。メジャーデビューの具体的な話は全然しなかったのに、お会計の時に、“ちなみに僕らのデビューはどうなったんですか?”って聞いたら、“そうだね。3月にレコーディング、6月デビューでいいんじゃない”って言ったんです。すごく自然な感じでしたね」

――アマチュアバンドからメジャーデビューをして、とまどいはなかったですか?

「僕はデビューしてから、ライブって曲順を決めなきゃならないんだってびっくりしたんです。ロックバンドって、その日の気分で演奏していると思っていたから(笑)。デビューしてからもCDのプロモーションで取材を受けたりとか、ラジオに出演したりとか、そういう音楽業界のことをまったく知らない若者でしたね」