生放送で無茶をしたらパーソナリティーに抜擢

 長きにわたる音楽活動の中で、人生の転機ともいえるのは『オールナイトニッポン』のパーソナリティーへの抜擢だった。

「人生が変わった転機は、『オールナイトニッポン』ですね。まだ有楽町にスタジオがあった頃のニッポン放送に呼ばれて、100人くらいのお客さんの前で演奏したんです。ステージから降りて、客席に流れ込んでお客さんにマイクを向けて突撃インタビューみたいなのを始めたんですよ。

 そんなむちゃくちゃをやったら、数日後に事務所に電話がかかってきた。“怒られるんだ……”って覚悟をしていたら、“おまえ、面白いから『オールナイトニッポン』をやってみないか”っていうオファーだったんです」

――想像していなかった展開になったのですね。

「そうなんです。むちゃくちゃにやったのが、逆に面白がられた。まったくの無名の若手だったのに、パーソナリティーに大抜擢されたんです。オールナイトって、当時は第一部と第二部で分かれていたんです。僕がパーソナリティーだった日の第二部が伊集院光さんで、彼も僕と同じ日にDJデビューしたんです」

「『オールナイトニッポン』のパーソナリティーは、1年ほどしかやっていないのに、いまだに“聞いていました”って言われるんですよ」と、大槻さんは嬉しそうに当時を振り返った。

――『オールナイトニッポン』のDJの大槻さんはすごくテンションが高かった記憶があります。

「あれは、頑張ってテンションを上げていたんですよ! 夜中の2時だったので、テンションを上げて叫ばないと、場を保てなかったんです」

大槻ケンヂ 撮影/川しまゆうこ

――いきなりパーソナリティーに抜擢されて、生放送は怖くなかったですか?

「当時は、若手のパーソナリティーを鍛える風潮があった時代で、頑張ってトークをしていると、インカムからプロデューサーが“つまらない”って言ってくるんです。

 一生懸命盛り上げようと喋っている時に、つまらないって言われておもしろいトークができますか(笑)? 僕は時間読みできなくて、トークの途中でコマーシャルに入ってしまった。そうしたら、“時間くらい読めるようになれ”って言われたり。でもそういう時代だったんですよ」