90年代の音楽シーンに颯爽と現れ、ティーンエイジャーを中心に熱狂的なファンの支持を集めた筋肉少女帯。そのフロントメンバーが大槻ケンヂだ。今年メジャーデビュー35周年を迎え、アルバム『一瞬!』の発売、ライブ活動やフェスへの出演など、今なお変わらず精力的な活動を続けている。
 音楽シーンのみならず、エッセイ、小説、DJなど幅広く活動している大槻ケンヂさんの、THE CHANGEを聞いた。【第2回/全5回】

大槻ケンヂ 撮影/川しまゆうこ

小学生の時の成功体験がのちの表現活動につながった

――大槻さんにとっての人生の転機はいつだったと思いますか?

「実は小学生のときです。友達の占部君(※デザイナーの占部克也。筋少の『レティクル座妄想』などのジャケットデザインを担当)と、些細なことで喧嘩したんです。それを紙に書いたんです。

“昨日、占部くんと喧嘩した。僕がポカッと殴ると、占部くんはへのへのもへじのような顔をしていた”っていう詩を書いた。それを見た担任の野本先生が、すごく褒めてくれたんです! それで文章が上手いかもと調子に乗りましたね。それがきっかけで、“自分は何か周りとは違ったものが作れるのではないか”って思ってしまった」

 音楽に詳しいわけでもなく、楽器も上手に弾けなかった。そんな中、バンド活動を始めたことで世界が広がっていった。

「学校ではつねに地味なタイプでしたね。学校制度みたいなものがとにかく嫌いでなじめなかった。学校にコミュニティも作れなかった中で、学校以外になにかもう一つの世界を作ろうって感じでバンドを始めた。だから中高大と、学校の同級生は音楽活動をやるなんて、意外だったと思っていたんじゃないかな」

――ステージ上では、目立たないタイプなのが嘘のように暴れていますよね。

「本当は内にこもるタイプが、その反動でステージに出ることでシャウトしているのかもしれないです。観客に衝撃を与える役割ですね(笑)。でも若い時期は、もうちょっとオンとオフの切り替えが下手だったかもしれないです」

――ちなみにお酒を飲んでライブに出演されていたというのは、本当ですか?

「今は無理だけれど、昭和や平成の初めはロックの人はね、基本飲んでいましたよね(笑)。ステージ上でも飲んでいる人もいました」