「1番じゃなくていいんだ」と吹っ切れた

 渡英してすぐのころ、ミッツさんは同学年の日本人の女の子とふたりで、ファストフード店に行く。ミッツさんが注文すると、スタッフにまったく通じない。しかし、女の子の注文はスムーズに通る。ミッツさんは、打ちのめされたという。

「英語もなにもわからない状態で、同学年の女の子がペラペラッと英語を喋っているのを見て、くやしいというか、ありえないことなんですよ。それまで、公立の小学校に通っていたとき、私は学力がいちばんの武器だったんです。オールマイティに成績がいいというのが、学校生活における自分の立ち位置ではあったので。そのうえ、そもそも“女性に負ける”ことは時代的にも絶対に許されないことだった」

 それは、80年代半ばのこと。1985年に女性差別撤廃条約が締結されたばかりーーという時代背景があった。

「それまで、女の子が私よりもなにか秀でているってことがあまりなかったんですよね。あ、ピアノくらいかな? ピアノが上手な女の子っているじゃないですか。だから、“負ける・負けない”以前の問題で、“男の子は女の子に負けちゃいけない”という教育をされていて、それが自然に染みついていたんです。

 でも海外生活って、結局、向こうに何年いるかでいくらでも差が出てしまうんですよね。語学は、潜在的な能力とは別で、経験で差が出ますから。私は小6の時点で英語力が1しかなくて、ほかの子が90くらいあるとしたら、追いつくのに3年はかかるって言われたんです。私はそれが嫌だったんです」

ーーその経験が生きたと感じた瞬間はありますか?

「ロンドンの日本人学校は、すごく偏差値の高い学校でした。その理由はおそらく、当時イギリスに渡った日本人は、国の機関や大手企業、あらゆる組織のエリートが集まっていたからで。そんな人たちの子どもしかいないところだったので、必然的に教育レベルが高かったし、学年トップになれなかったんです。それで、吹っ切れた、というのはありました」

ーー吹っ切れた?

「そう。1番じゃなくていいんだ、みたいな」

ーー肩の荷が降りた感じでしょうか。

「小6のとき、同学年の子どもが100人くらいいたんです。のちに、そのなかの10人が東大に行ったんですよ。そんな環境で、挫折……まではいかないんですけれど、諦めがつきました。開き直るというかね」

ーーそれで「これからは自分の好きなことをやってもいいんだ」と?

「それはダメです。まだ慶應に入っていなかったから。慶応に入るまでは絶対に自由はないと思っていました。高校で慶應にどうにか入れたので、“好きにさせていただきます”という感じで、生きてきたつもりです」

 ストイックにやるべきことを遂行したのちの“諦め”が、その後の人生を豊かにすることもある。ミッツさんは、そう教えてくれているようだった。

ミッツ・マングローブ
1975年4月10日生まれ、神奈川県出身。幼少期をロンドンで過ごし、帰国後、慶應義塾高校に入学。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、英国ウェストミンスター大学コマーシャルミュージック学科へ留学する。20代中盤より、新宿二丁目でドラァグクイーンとして活動をスタート。『5時に夢中!』(TOKYO MX)、『スポーツ酒場 語り亭』(NHK BS1)、『GINZA CASSETTE SONG』(BS-TBS)にレギュラー出演中。2005年に同じく女装家のギャランティーク和恵、メイリー・ムーとの女装歌謡ユニット「星屑スキャット」を結成し、2012年に『マグネット・ジョーに気をつけろ』で配信デビュー。精力的にリリース、全国ライブツアーを行っている。