テレビ番組での歯に衣着せぬコメントで存在感を発揮した女装家、ミッツ・マングローブさん。ドラァグクイーン、高学歴タレント、徳光和夫さんの甥……などさまざまな肩書きでメディア進出をしたミッツさんだが、本人の口から語られるのは、意外な素顔だった。ミッツさんのTHE CHANGEを探る。【第4回/全5回】  

ミッツ・マングローブ 撮影/冨田望

 

 2000年に新宿・二丁目でドラァグクイーンとしてデビューし、その10年後にオネエタレントとしてメディアでその存在感を発揮するミッツ・マングローブさん。性的マイノリティを自覚し、ドラァグクイーンの世界に足を踏み入れたのは、「たまたまだし、いちばん面白そうだなと思っただけ」だと話す。

「ドラァグクイーンのカルチャー自体が日本に入ってきたのはわたしが高校・大学生くらいのころ、90年代初頭なんです。雑誌もあったし、映画もあったし。イギリスでもそんな人を見かけたりしていました」

ーーそんな存在に、憧れを抱いたり?

「ないですないです」

ーーどういった目線で見ていらっしゃったんでしょうか。

「こんなことでもしなきゃダメなのかな、とは思いましたけど。その頃は、いわゆるゲイの同性愛者としての人生って、それこそ情報がなかったんですよ。同性愛者として生きるってことは、こうなるってことなのかな、と。すごく偏ったイメージしかなくて。それこそ、美輪明宏さんやおすぎとピーコさんとかしか、そういう人しかテレビに出ていなかったから」