最近は節約術や実家じまいの本が話題になった松本明子。念願だったアイドルとしてのライブも、抜群の行動力で実現したとか。1983年にアイドルとしてデビューし、90年代には元祖バラドルとしてバラエティ番組のMCなどで大活躍。あの伝説的番組の秘話から夫とのなれそめまで激白した! 松本明子のTHE CHANGEに迫る。【第1回/全2回】

松本明子

 

ーー昨年6月に『実家じまい終わらせました!』(祥伝社)、今年7月に『あるもので工夫する 松本流ケチ道生活』(アスコム)と立て続けに実用書を出版。そんな松本さんの新たな活躍に、注目が集まっています。

「自分が苦労してきたことや、日頃から取り組んでいることを発信したら、それを話題にしてもらっただけですよ」

ーー華やかな芸能界と節約生活は、結びつかない気もしますが……。

「〝ケチ活〟は、必要があって始めたんです。ご存じの方も多いと思いますが、デビュー2年目に、テレビの深夜放送で4文字の放送禁止用語を言ってしまいました。翌日から謹慎生活に入って、2年半は東京のキー局の生放送に出られませんでした」

 ーー過酷な下積み時代だったんですね。

「その間、電気代を少しでもケチる方法を考えたり、不要になったものを捨てずに再利用したり。それを謹慎が明けてからも、ずっと続けていたら、〝SDGs〟が求められる今の時代に、ハマったんですよ」

ーーそうやって節約を極めた松本さんが、一方では実家の空き家問題では大変な出費になったとか。

「デビュー10年後くらいに、香川に住んでいた両親と東京で一緒に暮らし始めました。以後、空き家になった実家を処分することなく、25年が過ぎてしまったんです。結局、両親の他界後に〝実家じまい〟するまでに、維持費からなにからで、1800万円もかかってしまいまして」

ーーその手痛い体験を本にまとめたんですね。さて、デビュー当時の話に戻ると、松本さんは『スター誕生!』(日本テレビ系)出身で、注目の新人アイドルでした。

「芸能界入りしたのは、松田聖子さんのようになりたかったからなんです。デビューしたら、フリフリのスカートをはいて、『ザ・ベストテン』(TBS系)に出られると思っていました」