最近は節約術や実家じまいの本が話題になった松本明子。念願だったアイドルとしてのライブも、抜群の行動力で実現したとか。1983年にアイドルとしてデビューし、90年代には元祖バラドルとしてバラエティ番組のMCなどで大活躍。あの伝説的番組の秘話から夫とのなれそめまで激白した! 松本明子のTHE CHANGEに迫る。【第2回/全2回】

松本明子

 昨年6月に『実家じまい終わらせました!』(祥伝社)、今年7月に『あるもので工夫する 松本流ケチ道生活』(アスコム)と立て続けに実用書を出版。「自分が苦労してきたことや、日頃から取り組んでいることを発信したら、それを話題にしてもらっただけですよ」と謙遜するが、デビューしてしばらくは鳴かず飛ばずで苦労も多かった。

ーー不遇のアイドル時代を過ごした松本さんですが、9月に、同じ1983年にデビューした皆さんと、銀座の博品館劇場でライブを開催しました。

「あの頃は毎年、ものすごい数のアイドルがデビューしました。私の前年は〝花の82年組〟と呼ばれるそうそうたる方々で……」

ーー中森明菜さんや、小泉今日子さんですね。

「ところが、私たち83年組は、周りに〝不作〟って言われて(笑)。そんな同期の(大沢)逸美ちゃんたちと7人で、『お神セブン』というユニットを作ったんです。

ーーずっと交流があったんですか?

「デビューすると、同期の子とは、新人賞レースもありますし、1年間はよく顔を合わせます。ただ、年末の『レコード大賞』を最後に、バラバラになっちゃうんです」

ーー涙の別れですね。

「最後に、みんな“売れなかったね。でも、それぞれの道で頑張ろうね”って、握手して別れましたよ。  それから30年にわたって、会いませんでした。携帯電話もない時代ですから、連絡の取りようもなくて」

ーーどんなきっかけで、ライブが実現したんですか。

「10年前に、あるテレビ番組で、逸美ちゃんたち4人と再会して。それぞれが知っている連絡先をたどって、なんとか7人が集まりました。

 せっかくだから“何かやろうよ”という話になって、5年前にデビュー35周年の記念ライブを決行。今回は40周年ライブでした」