赤井「うれしかったから、佳子ちゃんに見せたら、朝まで20時間くらい怒られました」
ーー英五郎さんがボクシングをやる、と聞いたときは、やっぱりうれしかったですか。
赤井「二十歳の時に、まだ、ボクシングやってないとき、やってないけど、やろうかなという話をしただけなのに、うれしくてうれしくて。
大阪で、私のアプリの取材があったんですよ。そこで、息子と一緒にリオオリンピック目指します! って報道陣の前で言ってしまって。
そうしたら、こんぐらいデカい(※手を広げる)見出しになって。
うれしかったから、帰ってきて佳子ちゃんにこれ見て、って見せたら、朝までもう、20時間くらい怒られました」
佳子 「怒りましたね。もう怒りが止まらなかった。絶対に言わないでね、と。まだやってないわけだから。
それで、今日も言えへんかった。今日も言えへんかった、って我慢してた。でも、言いたいわけですよ。とにかくまず誰にでも言いたい。それを我慢して我慢して我慢して、たくさんの人が集まった時に、誰にも聞かれてないのに、実は息子はボクシングやることになりまして、リオを目指しますって言っちゃった」
ーーその記事を佳子さんのもとに……。
佳子「もう私も喜ぶと。私が言わないでって言ったのをすっかり忘れて、喜んで持って帰ってきて。
で、はぁーっ? てなって、あんなに言わないでって言ったのにって。あんまり大きな声で私が怒ったもんだから、怒られると思ってないからびっくりしちゃって、目がまんまるくなって、ボロボロボロっと涙流して。
ごめんなさい、って言うから、ごめんですむ問題じゃないでしょ!って言ったらまた、ボロボロ、ボロボロって」
ーー赤井さんは怒られるっていうことはまったく予想してなかった。
赤井「喜んでくれると思った」
佳子「あんなに喜んだことなかったですよ。だからやらせたかったんだ、と思って。それまで一言も言ったことなかったんですよ」
赤井「いや。もう、そんな信じられなかったですね。もうせえへんもんやと思ってましたので、もう言うてまいましたね」
長男・英五郎さんがプロボクサーとしてデビューしたのは、2021年のことだった。
■プロフィール
赤井英和(あかい・ひでかず)
1959年8月17日、大阪府大阪市西成区出身。浪速高校入学と同時に先輩に半ば強引にボクシング部に入部させられる。下働きの日々を経て、夏の国体予選にいきなり出場し、優勝。これを機に技術をつけたくて「朝は4時、5時から走って。高校の時がいちばん練習してた」という日々を送り、ボクシングの名門・近畿大学に進学。80年にプロ入りし、デビューから12戦連続といKOという偉業を達成。その攻めのスタイルから“浪速のロッキー”と呼ばれ、大阪中から絶大な人気を獲得。85年2月5日、大和田正春との試合で7ラウンドKO負け。急性硬膜下血腫、脳挫傷で意識不明の重体となり緊急手術。奇跡的に一命をとりとめるが、ボクシングからは引退。88年に半生を書いた『どついたるねん』を出版。89年、同書をもとにした阪本順治監督の映画『どつたるねん』に主演し、俳優としてデビュー。以降、映画、ドラマ、バラエティなどに出演多数。妻・佳子が運営するツイッターアカウント「赤井の嫁」は、絶大な人気を誇り、投稿の内容をまとめた『赤井図鑑』(扶桑社)が2021年に出版。