いまから9年前、「耳が聞こえない作曲家」のゴーストライターをしていたことを告発し、一躍世間にその名を知られることとなった新垣隆。その後、バラエティ番組への出演やポップスの世界でも活躍、2018年からは、川谷絵音小籔千豊らとともにバンド「ジェニーハイ」を結成し、人気を集めている。そんな彼が出会い、生き方が変わることとなった変化、「THE CHANGE」とはいったいなんだったのだろうか。【第2回/全4回】

新垣隆 撮影/片岡壮太

 いまでは大人気バンド・ジェニーハイのメンバーとして、音楽好き以外にも認知されている新垣隆さんは、元々はクラシックや現代音楽の作曲家、編曲家、演奏者として長年活躍してきた偉大な経歴の持ち主である。そんな新垣さんが、音楽家になるにはどんな経緯があったのだろう?

「4歳でピアノを習い始めたところからですかね。母親に連れられてヤマハの音楽教室に通っていました。クラスではピアノを習うのはもちろんのこと、みんなで歌ったり、和音やコード進行とか、そういうことを勉強していました。

 当時観ていたテレビ番組の中に、母と一緒に見ていたクラシック音楽の番組があったんです。母はとても音楽が好きだったので、息子に音楽をやらせたいという気持ちが強かったみたいで。

 でも、我が家は音楽家の家庭ではなかったので、どうやったら音楽家になれるのかを親は全く知らないわけです。そこで音楽教室でピアノを習って、とにかく先生にアドバイスをいただいて、将来的には専門的に音楽をやりたいということも相談していました。

 わりと小さいころから自分は作曲家になると決めていたのですが、中学くらいの頃には本当に目指すとなるとちゃんと勉強しないといけないなという風に考えるようになっていきました。それで高校では音楽を専攻しながら、最終的に音楽大学に進むための準備をしていったという感じですね」