「どうしたら音楽を仕事にすることができるか」

 母からの英才教育と、音楽家になるという強い意志で順調にキャリアを積み重ねていった新垣さん。いよいよ学校を卒業しプロの道へ歩み始めたのだが、その先に波乱の展開が待っているとは思いもよらなかっただろう。

新垣隆 撮影/片岡壮太

「音楽以外の仕事に就くことは無理だと自分で分かっていたので、大学を卒業したあとどうしたら音楽を仕事にすることができるか、そのことをずっと考えていました。

 それで、一番現実的なものとして伴奏の仕事をすることにしました。音楽仲間である演奏家、たとえばバイオリンやフルート、声楽だったりするんですが、彼らが演奏会をするときなどには必ず伴奏が必要になるんですね。

 実は伴奏の仕事はアルバイトとして学生時代からやっていたんですが、音楽仲間のほかにも、プロの演奏家を目指す子供たちがオーディションを受けたりコンクールに出たりするときの伴奏もしていまして、それがそのころの仕事の柱となっていました。

 その一方で、アレンジャーとして編曲を頼まれたりとかもしていまして、そういう中である映画の音楽制作のお手伝いをすることになったんですが、その話を依頼してきた方が佐村河内さんだったんです」

 10年前、新垣さんは佐村河内守氏のゴーストライターとして曲作りをしていたことを公表し大きな話題になった。しかし、その勇気ある告発の代償として、それまで順調に積み上げた音楽家としてのキャリアは閉ざされたかのように思えた。