レピッシュは東京生まれのバンド

 ミクスチャーと呼ばれる、いろいろな音楽に影響を受けたレピッシュ。自分たちのルーツは”東京“だという。

「レピッシュって、熊本出身のメンバーがふたりいるけれど、東京で結成されたし、東京のバンドなんです。レピッシュの音楽的背景は、東京の影響が一番濃い。メンバーが好きだったのは、ニューウェーブと呼ばれるムーブメント。

 ニューウェーブって、いわゆる音楽ジャンルではない。振り返ると、ニューウェーブってパンクから始まって、それがポストパンクに変わってきた。でも基本はDIYの精神。音楽の幅は広がっても、そこに込めたメッセージは残っている。人がやってないことをやろうっていう精神を僕はニューウェーブだととらえている。次々と出てくるジャンルの違う音楽を非常に面白いと思っていた」

 若かったMAGUMIさんが心酔したのは、ライブハウスではなくディスコで流れる音楽だった。レピッシュの多様性を持つ音楽は、MAGUMIさんの豊かな感性のおかげだろう。

「上京してからはずっとディスコに通っていた。イギリスで流行っているものが、そのままディスコで流れていた。『UK DIKSON』(*新宿にあったレコード販売店)に行けばイギリスで流行っていたレコードが買えたし、『ツバキハウス』(*新宿にあるパーティースペース)では大貫憲章さんがDJをしていた。

 そういうのに興味があったから、自然とミクスチャーになってしまうんでしょうね。ニューウェーブの音楽をコピーするのも違うって思っていて、これまでにないものを作ろうと思っていた。たまたまそれがニューウェーブって呼ばれるものだった」

MAGUMI 撮影/松野葉子

 今でこそ、トランペット、トロンボーン、サックスで構成されるホーンセクションを取り入れたバンドも増えてきたが、レピッシュがメジャーシーンに登場した87年当初は、珍しかった。

「ホーンが入っていたのは、僕が吹けたからです。現ちゃん(*上田現・元レピッシュのキーボード奏者)がサックスを吹くようになったのは、デビューしてからだから。プロデューサーのホッピー神山さんが、増井君(*MUTEBEATのメンバーでトロンボーン奏者。レピッシュのライブやレコーディングにも参加)を連れてきた。彼らのことは知っていたので、“本物のMUTE BEATだ! “って驚きましたね。増井君とはそこから現在もつきあいが続いている感じです」

 転機を夢がかなうチャンスに変えてきたMAGUMIさん。夢をかなえるために必要なものとはなんだったのだろうか。

「色んな人が言っているかもしれないけれど、“なりたい”って思っている人じゃなくて、“なる”って思った人が夢をかなえられる。なりたいって思っているだけの人は、多分なれないんだよね。

 たとえば宇宙飛行士っていう夢だって、頭脳以外にも身体能力が良くなきゃいけない。だから難しいと思うけれど、真剣になりたいって思っていれば、ロケットを飛ばすほうの仕事はできるかもしれないからね。やっぱり人の意思の強さっていうのは、あながちちっぽけなものではないって感じるね」

 バンドマンになりたい、歌手になりたい……など夢を追う人々は今もたくさんいる。「なりたい」と思うだけでなく、「なる」と考えて行動することが、MAGUMIさんの夢がかなった理由かもしれない。

MAGUMI(まぐみ)
1963年生、熊本県出身。ミクスチャーバンド・LA-PPISCH(レピッシュ。“A”はウムラウト付き)のボーカル、トランぺッター。87年にシングル『パヤパヤ』でメジャーデビュー。レピッシュは05年に活動休止をするも、07年に活動再開。バンド・MAGUMI AND THE BREATHLESSのボーカルも務めている。