「RINJIN」「パヤパヤ」などのヒット曲で知られるバンド『LA-PPISCH』(“A”はウムラウト付き。以下、レピッシュと表記)。そのフロントマンで、ボーカル・トランペットを担当するのがMAGUMIだ。2023年でバンド結成40年、MAGUMIさんの長い音楽人生の「THE CHANGE」に迫る。【第3回/全5回】

MAGUMI 撮影/松野葉子

 ライブでのMC同様、笑いの絶えないトークで取材陣を魅了したMAGUMIさん。バンドが軌道に乗るまでの、インディーズ時代の苦労話を語ってもらった。

 MAGUMIさんは、新聞配達をしながら専門学校に通っていた。そこまでして上京したかった理由はなんだったのだろうか。

「それはもう、東京に出る理由が欲しかったんです。中学でブラスバンドに入って、高校で合唱部に入った。人前でなにかやるようになってみて、本格的にやりたいのなら熊本じゃないなって考えていた。

 その時に、日活芸術学院という映画会社が運営していた学校があることを知って、ここしかないって思った。親には“自分の好き勝手なことをやるけど、新聞奨学生になって迷惑はかけないから進学させてくれ”って言ったんです。当時は、新聞配達をちゃんと2年間やらないと奨学金の何割かを返さなきゃいけない制度だった。あれは非常に悪い制度だね(笑)。

 バンドが楽しくなって、途中から学校は行かなくなった。上京して1年目は毎日4時間しか寝ていなかった。一番寝なかった記録は、1週間で10時間しか寝ていない」