バブル崩壊まっただなかの1993年。けれどもバブルの余韻だけはまだ空気に残り、トレンディドラマに夢中になれた。そんな時代が、ブラウン管の中でセピア色で再現されるとき、無意識にBGMにしてしまう曲がある。あのころの日本にあまねく知れ渡ったラヴソング『Get Along Together』。この曲の生みの親であり、2023年に30周年を迎えたシンガーソングライター山根康広のTHE CHANGEとは。【第2回/全3回】
1993年、デビュー曲『Get Along Together』でまたたく間に大ヒット歌手にのぼりつめた、2023年に30周年を迎えた山根康広さん。平日は会社員として通勤し、土日は地道にショッピングモールを回り、出身地である大阪を中心に、じわじわと有線リクエストを増やしていたときだった。東京のテレビ局から、声がかかったのだ。
「関西圏ではけっこう有線リクエストがきていたんですよ。そのときは、顔と名前が結びつかず、曲名だけが知られている状態。それが、テレビに出たことで変わったんです。CD売上と、レンタルCDが動き出しました。
きっかけは、フジテレビの『MJーMUSIC JOURNAL』という番組でした。古舘伊知郎さん、加山雄三さん、田中律子さんが司会をしていましたね。いきなり、サザンオールスターズと一緒に出ました」
ーー平日は会社員をやっている方が、いきなりサザンと!
「俺は会社で企画開発室という部署にいたんですが、その翌日から、ほかの部署にいっぱい電話がかかってきていると聞いて」
ーー電話をしてきた人たちは、山根さんがその会社に在籍していることが、どうしてわかったんでしょう。
「ねえ、わかるんですよね。どうやって調べるんですかねえ。俺は出なかったんですけど、“企画開発の…山根”ではなく、”山根康広さん、いますか”という問い合わせだったようです」
爽やかかつ甘いルックスが際立つ、白いTシャツにタイトなジーパン姿に、多くの女性が恋をしたのだろう。
ある日、山根さんを呼び出した課長が言った。
「おまえ、もう音楽1本でいけるんじゃないのか?」
「その後、1、2ヶ月くらいで会社を辞めました。それまではね、ラジオ番組に出るときは、課長に”ラジオに行ってきます”とか言って会社を出ていたんですよ。”すごいね、がんばってね”なんて言われながら、平和に会社からひとりで行っていました」