スーパー銭湯アイドルとして、幅広い年代に人気を誇るムード歌謡グループ『純烈』。その中心人物であり、リーダーを務めるのが酒井一圭(48)。子役から戦隊シリーズのヒーロー、そしてアイドルグループのリーダー。その変幻自在なキャリアの「THE CHANGE」にせまる。【第4回/全5回】

純烈・酒井一圭 撮影/冨田望

 酒井さんのキャリアは、子ども時代にまでさかのぼる。純烈結成や戦隊ものに出演する前から、子役として活動していた。果たしてどのような子どもだったのだろう。

「人前に出るのは全然苦手じゃなかったですね。保育園の年長さんになった頃に、お遊戯会ではどんどんと台詞の多い役を任されるようになった。鼓笛隊では指揮者とか目立つことをやらされるんです。子どもにとっては明らかに負担がでかいんだけれど、セリフとかをパッと見ただけで覚えちゃえたんです。ちょっとギフテッド(*平均より著しく高い知的能力を指す用語)が入っていたのかも。

 そこから、“テレビに出ている子は、俺みたいな子とは違うのかな”って興味がわいてきた。そこで“こいつらと対戦したい”って思って、親に児童劇団に入りたいって頼んだんです」

――そこから、『あばれはっちゃく』の主演へはどのように決まったのですか?

「親からは“児童劇団は高いからだめだよ”って一度、断られたんです。でも習い事の一つとして、おじいちゃんがお金を出してくれることになった。一番レッスン費が安いところを探して入りました。『あばれはっちゃく』の主役に選ばれると、今でいう鈴木福くんや芦田愛菜ちゃんみたいな状況なんですよ。やっぱり子役のトップに立つと、テレビ業界の仕組みがわかってくる。どのスタッフがどういう生き方をして、どれくらいの給料なのかなっていうのが子どもながらに理解できたんです」

 輝かしいように見える子役だが、忙しくて学校に通えないなど弊害も多かったようだ。

「子役時代は、“泣いて”って言われたらすぐ泣くことができる子や、自分よりも演技が上手い子は山ほどいた。そんな中で、はっちゃく役自体が、ラッキーボーイで選ばれたってわかっていました。ずっと芸能活動が忙しくて、学校にはあまり行けなくなった。そうしたら通知表に評価がつけられないと言われて、斜線だらけだった。これは普通の学生に戻らないと大変なことになるぞって思ったんです。もう夢も叶ったのできっぱりと芸能活動は辞めて、普通に学校に通い始めました」

――芸能活動引退後は、どのようにしていましたか。

「テレビを見ていたら、“今はあの子が出ているんだな”っていう目線でつい見てしまう癖があって……。テレビを見ながらも、代理店やプロデューサーとか相関図がどんどん浮かんでくる。どういう子が世間で求められているのか、わかってしまう。世間では、学校を卒業してみんなが働き始めるタイミングとかあるじゃないですか。僕にとってのそういう時期には、木村拓哉さんやいしだ壱成君、武田真治君が活躍していた。世の中が必要とする逸材と、自分のキャラクターを考えた時に、自分のピークは50代以降になっちゃうってことがもうわかってしまったんです」