子ども時代に培われていた冷静で分析力に長けた才能

――では、ピークを迎えるまではどのように過ごそうと思っていましたか?

「先に競馬とか人生を楽しもうと思いました(笑)。あとは先に家庭を築いてしまう。世の中がだんだん進んでくる中で、自分は動いてないんだけど、世の中がバブルの時代だと能力がなかろうが、みんなそれなりに食えるようになるじゃないですか。でも今の時代はだんだんとシビアになってくる。結果的に自分が浮いてきちゃって、怪我もしてしまった。僕らの親世代が何を喜ぶのか考えた時に、純烈が生まれた。普通に芸能事務所に入っても、イケメンなだけでは無理なんですよ。ほんのひと握りの人たちは日の目を見るけれど、あとはどんどん芸能界を去っていく……。そういうやつらをどうするのかって考えて誕生したのが純烈ですね」

 酒井さんの冷静で分析力に長けた才能は、子ども時代に培われていた。

「僕には、5歳下の弟と2歳下に妹がいるのだけれど、弟は自閉症だった。だから子どもながらに子役の仕事の時は、全部自分でやっていたんです。だから学校だとかプライベートで関わりがあった人たちは、僕が社会でどういう風に人と関わったり、働いていたとかはほとんど知らない。たとえば、ここにいるスタッフの人たちが、家ではどんなお父さんなのかってわからないじゃない。そういう環境で育ってきたから、子どもながらに自分がやりたいと思ってきたことしか興味が無かったし、やらなかったんだよね」

――自身の性格を分析すると、どのようなタイプですか。

「でも逆張り体質というか(笑)。みんなと同じことをやっていたら、同じ結果しかないって気づいていた。みんなと同じ勉強をしたら、テストで80点ぐらいは取れるようになる。でもそれってただのクイズと同じだなって思っていた。クイズが得意な子は勉強ができるし、勉強はダメでも運動が得意な子がいる。僕はニュータウンと呼ばれる新興住宅地で育ったから、貧乏から金持ちまであらゆるタイプの子がいた。いろんな子の家に遊びに行ったし、とにかく人が大好きだったんです。その時の経験があるから、誰に対しても分け隔てなくつきあえるんじゃないかな」

――俳優の高橋良明さん(*80年代後半に活躍した俳優。89年に惜しまれつつもバイク事故で急逝)とも交流があったそうですね。

「僕は東京宝映テレビ(現:株式会社宝映テレビプロダクション)という児童劇団に所属していたんです。そこで高橋くんと一緒になった。当時、劇団の中で一番安い月謝のところを探して入ったので、とにかく人が多かった。教室の中に入ったら、50人くらいの子どもたちが“あーえーうー”とか大声を出しているんですよ(笑)。エキストラ時代は、そういう大部屋だったのに、『あばれはっちゃく』になったとたん、小部屋になったんです。もう選ばれし子役たちが部屋の中にいる状態。顔を見たら、5人全員すごく売れている子役たち。こっちがビビるぐらいなんですよ(笑)」