芸能界に戻って一緒に共演したかった……
酒井さんは時折、懐かしむような表情を見せながら、児童劇団時代のエピソードや高橋さんとの思い出を語ってくれた。
「子どもなんだけれど、もうプロなんです。演技をみせあっても、お芝居の引き出しが半端じゃない。ネタを出し合うと、芝居の中で裏切ってきたり。そうやって一緒に切磋琢磨する中で、親しくなっていった。稽古帰りに“マック行こうぜ”ってなった時に、中学生や小6がいる中で、僕だけ4年生で一番年下だったんです。周りはみんな『うちの子にかぎって…』(84年TBS系で放送されていた学園ドラマ)に出ていたような凄いやつらが多かった。だからませているし、お金も持っているからおごってくれる(笑)。時にはちょっとエッチなこととか教えてくれたり……。周りから可愛がってもらいましたね。彼らはちょっとワルな部分もあったからね、一緒にいてすごく楽しかったんですよね」
芸能界引退後も、高橋さんの活躍は見守っていたという。その裏側には、酒井さんの叶わなかった思いがあった。
「僕が芸能界を辞めるって決めた時に、“辞めんなよ、一圭”って引き留めようとしてくれた中に、良明もいたんです。僕が辞めた後にテレビを観ていると、『夜のヒットスタジオ』に出たり、『オヨビでない奴!』(87年~TBS系で放送されていたドラマ)の主役を務めたり、『春日局』で大河にも出演していた……。良明はどんどん有名になっていくなかで、バイク事故を起こして亡くなってしまった。母親に調べてもらって、葬儀にはお花を送りました。もしもあいつが亡くなっていなかったら、今、活躍している俳優たちが出てこられなかったんじゃないかな。それくらい抜きんでていたよね。だから、いつか芸能界に戻って一緒に共演したかった……」
みんなと同じような学生生活がしたい。そう決めて引退をした酒井さん。しかし、彼の枠にはまらない生き方は、また再び芸能界へと向かっていった。
「芸能界を引退しても、“どうせ1、2年したら戻るんだろうな……”という気持ちが少しありました。でもみんなと同じような学生生活を自分ができるのか試してみたかった。会社員にもなれるのかやってみたかったけれど、高校2年生の時にはっきりと”無理だな“って気づいた。そうしたら、もう1回芸能界に戻ろうって決意しました」
――芸能界に戻って、再び子役時代を振りかえるとどうでしたか?
「僕の周りって、良明以外にも若くして、バイクで亡くなっている人が多いんです。大人になってから、『あばれはっちゃく』シリーズの同窓会をやっていて、僕が全シリーズの同窓会の幹事を務めている。『逆転あばれはっちゃく』(第5シリーズ・酒井さん主演)で秀才役だった阪田君(阪田智彦)も、実は16歳の時に亡くなっていたっていうのを37歳で知りました。そう考えると、僕は“生かされている”って思うんです。ああいう色々な人たちと一緒に過ごせた時代は僕にとっては宝物ですね」
■酒井一圭(さかい・かずよし)
1975年6月20日 生まれ。歌謡グループ「純烈」のプロデューサー、リーダー、元子役、元プロレスラー。主な出演作『逆転あばれはっちゃく』5代目桜間長太郎 役、『百獣戦隊ガオレンジャー』ガオブラック・牛込草太郎 役(ともにテレビ朝日系)、FODドラマ『純烈ものがたり』主演・酒井一圭 役 ほか
「純烈」オフィシャルウエブサイト;https://junretsu-official.com/top.php
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