解説者になったけれど
不安だらけだった引退直後。しかし引退直後の21年から解説の仕事に恵まれ、今では売れっ子解説者だ。やはり、この仕事が向いていたのだろうか。
「最初はもうわからないことだらけで、なにが正解でなにが不正解なのか、もう手探りでしたね。先輩にアドバイスを求めたりしていましたし、それもあって最初は正直、楽しくなかったです」
楽しくなかったとは意外な言葉だった。画面で見る五十嵐さんは、いつも明るい印象があったのだが。
「なにを言っていいのかわからなかったんですけど、そんな中でも、自分が話すことによってプレーヤーの邪魔しちゃいけないとか、ネガティブなこと言ってつまらない思いをさせたくないというのは、大事にしていました。
ワイドショーに出るときも、言葉遣いもそうですし、なるべく丁寧にわかりやすくは心がけていますね。見ている人が、野球ってそうなんだって納得してもらえたらうれしいし、わかりやすいって言ってもらえるとうれしいので。そこも心がけています」
ネガティブなことは言わない、丁寧に分かりやすく。五十嵐さんの解説が明るく、聞いていて引き込まれるのは、そんな心がけがあったからなのだろう。
野球が面白くなった
五十嵐さんにとって大きな転機だったという引退。やめるまでとやめた後、解説という仕事をすることで、野球の見方は変わったのだろうか?
「解説者をやって、いろいろな人の話を聞いていると変わりますよ。バッターはこういうときにこういうことを考えているんだとか聞いて、その感覚を知っていたらもう少し現役いけたなとか。現役の頃は自分がやることに関して追求してきましたけど、今は幅広くいろいろなものが見られるようになって、チームそれぞれの戦い方とか。野球が面白くなって、ちょっと詳しくなりましたね。
そもそも、自分がそんなに野球が好きだったかといえば、大好きって感じじゃなかったんですよ。やるのは好きだけど、とにかく勝つために時間を使ってきた。全体を見てあのチームがどうかとかあまり気にしていなかったんで。そういう意味では、自分が知らなかった世界を見ているような感じですね」
楽しそうに話す五十嵐さん。その表情は野球ファンそのものだった。
「見ているより、やっているほうが楽しいですけどね、野球は。でも、今の若い選手が頑張っている姿とか、なにか失敗をしてそこから少し変わったりする姿を見ていると、喜びとか楽しさを感じますね。勝ち負けはもちろん大事なんですけど、いろいろな意味で野球を楽しむことができるようになったと思います」
野球を楽しんでいる。だからこそ、五十嵐さんの解説は熱く、そして楽しいのだろう。解説者として、現役時代以上に活躍する姿を、今後も見られそうだ。
■五十嵐亮太(いがらし りょうた)
1979年北海道生まれ。97年に敬愛学園高校からドラフト2位で東京ヤクルトスワローズに入団。2年目から一軍に定着し、リリーフ投手として活躍。04年には当時の日本人最速タイ記録となる、球速158キロを記録。最優秀救援投手に選ばれる。09年に海外FA権を行使し、MLBニューヨーク・メッツに入団。12年シーズンまでMLBでプレーし、13年に福岡ソフトバンクホークスに移籍。19年に古巣のヤクルトに戻り、20年に引退。現在は野球解説者として活躍している。