進退を賭けた名古屋場所
手術から数日後には、リハビリを開始。休場した5月の夏場所中には、入院中の病院の屋上で四股を踏めるまでになった。
「力士になってから、2か月間も四股を踏めないことはなかったので、四股を踏めた時はうれしかったですね。四股などの基本運動はできていたけれど、相撲を取る稽古は6月中旬まで控えるように言われていたんです。“焦っちゃいけない”“焦っちゃいけない”と自分に言い聞かせていました。
ようやく、宮城野部屋の土俵で相撲を取れるようになった時は、(部屋の)三段目の力士にも負けていたくらいだったんですよ(笑)。右ヒザに負担を掛けない立ち合いを研究して、“これなら行ける!”と確信。名古屋場所出場のために、愛知県に乗り込んだのです」
進退を賭けた名古屋場所初日は、小結・明生戦。
「久しぶりの本場所。“待ってました!”とばかりに、テンションは上がりました。うれしかったんですが、愛知県体育館の空気がちょっと違う。
花道から土俵に向かう時に、いつもよりお客様からの拍手が多いんですよ。同情の拍手だと思いました。かつて、大横綱・北の湖(のち北の湖理事長)さんは、“横綱が(観客らに)応援されたら、終わり(引退の時期)だ”とおっしゃっていましたが、その微妙な空気の中で、私の心にスイッチが入りました。“ここで終わってたまるか!”ってね」
明生戦、辛くも白星に結びつけた白鵬は、2日目、遠藤を上手出し投げで仕留め、3日目も大栄翔にすくい投げで勝利。4日目は、このところ、力を付けてきている隆の勝との対戦となった。
なりふり構わず張り手を繰り出したものの、隆の勝に土俵際まで追い込まれ、紙一重のところで、突き落としが決まって、白鵬は白星を拾った。
「隆の勝との相撲で、力の限界に気付かされました。もう、ごまかしは利かない。現役引退を決めたのは、この一番です」
それでも5日目、逸ノ城に快勝すると、白鵬はこれまでのペースを取り戻していく。
「力士は勝っていくと、欲が出るものなんですよ。出場する限り、私はまずは10番(10勝)を目指すのですが、とにかく10日目まではがんばろうと思ったんです。10日目、隠岐の海との対戦に勝って、目標を達成した後、私は師匠、部屋のみんなに自分の決意を話すことにしたのです」
トヨタスポーツセンター内の宿舎に戻ってきた白鵬は、夜のチャンコを前に部屋の力士たちを集めた。
「みんなにはいろいろとお世話になりましたが、今場所限りで最後の場所にしようと思っています」
呆然とする者、涙をこらえる者、白鵬という存在は、「宮城野部屋」そのものだっただけに、衝撃は大きかった。