元横綱白鵬。通算1187勝、史上最多45回の優勝、2010年には63連勝を記録するなど、記憶にも記録にも残る名横綱だ。15歳でモンゴルから来日し、宮城野部屋へ入門。2001年3月場所で初土俵、それから6年で横綱に昇進し第69代横綱を襲名。2021年9月場所で現役を引退し、13代目宮城野を襲名した。都内にある宮城野部屋で20年の土俵人生で経験した「CHANGE」を聞いた。【第4回/全4回】

宮城野親方(元横綱・白鵬)

「もう限界なのかもしれないな……」

「勝つ」ことにこだわり続けた白鵬は、もがき苦しんでいた。そんな白鵬に声をかけた人物がいた。

「昨年12月に亡くなられた錣山親方(元関脇・寺尾)が、“横綱、力士は32歳からだよ”とおっしゃったんです。親方は39歳まで現役を務められて、30歳前後の時に負傷などで悩んだそうですが、32歳からまた新しい相撲の道が見えてきたのだそうです」

 17年夏場所で復活の狼煙を上げる38回目の優勝。翌名古屋場所でV39、九州場所では節目のV40まで優勝回数を伸ばした。

 20年秋場所から3場所連続の休場、21年春場所で出場を果たすも、2日目の相撲で負傷し、無念の途中休場。

 白鵬はここで大きな決断をする。

 数多く抱える負傷の中で、特にネックとなっている右ヒザの手術に踏み切ったのだ。
「もう一度ヒザを痛めたら、人工関節を入れなければならない」と医師に告げられた白鵬は、再び土俵に上がるためにイチかバチかの賭けに出た。