不安だらけだったコロナ禍での試合

 アクティブなプレーを見せる加藤選手。その姿勢はテニスだけでなく多くの社会活動が止まってしまったコロナ禍のときも変わらなかった。2020年、テニスをはじめとするジュニアスポーツ選手の未来のため、自身が生まれ育った京都市に、111万1111円の寄付をしたのだ。

「そのときは私も試合がない時期で、いつもだったら大会に向けて練習するとか目標があったんですけど、次の大会が見えないというかいつ始まるかわからない状況だったんです。プロの私たちすら、なんのために頑張ったらいいのかわからないのに、学生だったら行事もなくなるしリモート授業だしって、もっと先が見えないなって思ったんです。
 私はテニスなので、スポーツを通じてもう一度、頑張ってほしい、全員が1位を目指してほしい、という思いを込めたんです。全員が1位というのはもちろん無理なんですけど、そういう願いを込めてあの金額にしたんです」

 もちろん加藤選手もつらい時期を過ごしていた。その後、大会は再開したものの、選手たちの行動は厳密に制限されていた。

「コロナ禍での遠征はすごくつらかったですね。行けるのはテニスコートとホテルと空港だけで、目の前にあるコンビニエンスストアにも入れない、ごはんも外で食べられない。そんな生活が1年ぐらい続いたんですけど、気持ち的にピンチというか、もしキャリアの最後までこんな状態だったら、続けられるかなという不安がありました」

今も変わらないテニスが好きな気持ち

 コロナ禍で過酷な時期を経て、加藤選手は見事に復活。2023年の全仏オープン女子ダブルスではボールパーソンにボールを当ててしまい失格となるも、その後の混合ダブルスで優勝。初の4大大会での勝利を手にする。始めた頃から数えると22年になるテニスの魅力を、あらためて聞いてみた。

「やっぱり駆け引きが一番、面白いんじゃないでしょうか。駆け引きをしながら、ひとりひとりが違う動きをしてボールを取りにいって打つので。私だったら、相手に“この人はどこに打つんだろう?”って考えさせるように、普通ならクロスに返すけど、私は逆に返したり。そういうのが魅力ですし、そういうところを見てほしいですね。
 サッカーとかと違って試合時間も決まっていないし、引き分けもない。そんな中でひとりで考えてやっていかなきゃならない。そのひとりひとりの考え方を見ていくと、面白く試合を見られると思いますよ」

 先ほどのコロナの話と違い、テニスの話をするときは、一段と表情が輝いていた。

「テニスに対する姿勢は、始めたころも今もそこまで変わらないですね。特にテニスが好きっていう気持ちだけは、ずっと変わらないです」

 最後に、テニスに取り組む若い人たちへのメッセージをお願いした。

「まずは本当に好きなことをやってほしいですね。いやいやではなく。あとは最近は親の希望でやっている子どもが多いと聞きますけど、あまりまわりのプレッシャーを気にせず、のびのびやってほしいと思います。やっぱり楽しんでやるのが一番ですから」

 テニスを楽しむ。加藤選手のコートでの輝くような姿は、そんな気持ちがあってのことなのだろう。

■加藤未唯(かとう・みゆ)
1994年京都生まれ。7歳でテニスを始め、2006年に全国小学生大会ベスト8。その後、立命館宇治中学校に進学し、11年に全豪オープン・ジュニアダブルスで準優勝の快挙を成し遂げる。13年にプロ転向。17年の全豪オープンでは、日本人ペアで史上初となるベスト4まで勝ち上がり、全仏オープンではシングルスで本戦入りする。23年の全仏オープン女子ダブルス3回戦で失格処分を受けるも、直後の混合ダブルスで優勝をはたした。24年WTA女子ダブルスランキングは26位(24年1月現在)。