1972年にバンド『海援隊』でデビューし、『母に捧げるバラード』や『贈る言葉』などのヒット曲を生み出す一方で、俳優としても映画『幸福の黄色いハンカチ』やドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など、数多くの代表作を持つ武田鉄矢。そんな彼の人生は、さまざまな「縁」によって大きく動いていったという。武田鉄矢を変えた「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

武田鉄矢 撮影/田中智久

 74歳になった私は、芸能人として「あとがき」に入っていまして、これまで出会った人たちのことを後世の人たちに伝えておかなければならないという使命感を感じています。

 そんな折、「世の中って、こんなことが起きるのか!?」とビックリする出来事がありました。

 53年前、私は福岡で『海援隊』というバンドを組み、フォークソングを歌っていました。当時の福岡はアマチュアバンドが大人気で、中でも財津和夫率いる『チューリップ』が頭一つ、抜け出ていました。

 そんな彼らを、東京のレコード会社とプロダクションが観に来るコンサートがあって、海援隊が前座を務めることになったんです。自分で言うのも何ですが、海援隊はけっこう人気があって、集客力を持っていました。ただ、かわいらしい女の子のファンが多いチューリップと違って、我々を支持してくれるのは、むさ苦しい野郎どもばかりでしたけどね(笑)。

 前座で大いに客席を沸かせてソデに戻ると、一人の男性がスッと寄ってきて「君たち、面白いね」と声をかけてきたんです。どう考えてもレコード会社の人だなと思ったけれど、チューリップより目立っちゃいけないと、それ以上の話はしませんでした。

 その男性の名前は新田さんといい、のちに数多くのアーティストを世に送り出したディレクターです。

 さて、その後、海援隊もデビューして、博多弁で母のことを語った奇妙な歌がヒットしたんですが、それ以降、まったく売れない。“もうダメだ……”と、のたうち回っていたら、「映画に出ませんか?」という電話がかかってきたんです。