1987年、フジテレビに入社し、アナウンサーとして『とくダネ!』『ナイスデイ』など、情報や報道を中心に多くの番組を担当してきた笠井信輔。フリー転身直後の2019年には「悪性リンパ腫」のステージ4であることを公表。過酷な闘病生活も経験した。そんな笠井の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

笠井信輔 撮影/石渡史暁

 私は、基本的にしゃべっていたい人間です。とにかく、しゃべりたくてしかたがない。

 ですから、フジテレビのアナウンス室という居心地のいい職場でしゃべり続けていた33年間は、本当に幸せな日々でした。

 ときどき、「笠井さんは順風満帆なアナウンサー人生だね」と言われることがあるんですが、とんでもない! 私のアナウンサー人生は、転機に次ぐ転機の連続でした。

 最初の転機は、入社して10年ほどたった頃のこと。当時、私はある情報番組のメインキャスターを務めていたんですが、あるとき上の人から「視聴率が良くないから、笠井はリポーターに戻ってほしい」と言われました。この「戻す」というところが問題で、実はこの番組、リポーターからメイン司会に昇格した番組だったんです。

 同じ番組でリポーターからメインになった人間が、またリポーターに戻れば、視聴者の方は「あら、戻されちゃったのね」と思うに決まっています。私のプライドの問題でもあるので「番組から降ろしてほしい」と頼んだのですが、聞き入れてもらえず……。

 そこで妻に相談しました。私にとって、妻は羅針盤のような存在で、節目節目で私の行く末を示してくれるような存在なんです。すると、妻はこう言いました。

「これまでずっとリポーターもキャスターもやりながら頑張ってきたんだから、自分のワガママを通しなさいよ!」

 そうだよな、と、改めて番組を辞めたいと会社に伝えました。すると、「これは人事なんだ、異動なんだ。従わないというなら、おまえは今後、情報番組では使わないということだ。それでもいいのか!」と怒鳴られました。でも「それでもいいです」と番組を降りたんです。