1984年にデビューするやいなや、瞬く間に人気アーティストとなったBARBEE BOYS。そのベーシストであるエンリケの活躍は、バービーだけに留まらない。浜崎あゆみを始め、永井真理子、江口洋介などの幾多のスターのバックバンドも務めた。現在も、ベーシストとして精力的な活動を続けている名プレーヤー“エンリケ”の誕生と転機に迫る。【第4回/全5回】

ENRIQUE 撮影/冨田望

 バービーは、1988年に東京ドームでの単独コンサートを行い、大成功を収めている。1989年1月1日には資生堂『TREND・Y』のCMに出演し、シングル『目を閉じておいでよ』をリリース。オリコンの週間シングルランキングでは、グループ最高位の8位を獲得した。

「最初は解散するつもりはなかった」と語るエンリケさん。プロのアーティストとしてデビューするために集まったバービー。まさにバンドの絶頂期といえるタイミングで解散した彼らの真相は、何だったのだろうか。

「アルバムを作って、ツアーをやる流れでずっときて、イマサ(いまみちともたか・バービーのギターを担当)が新しいものを作るのに限界が来ていた。最初に設定した男女ツインボーカルっていう縛りが、つらくなってきたんだと思う。あくまでも俺の私見だけど。

 杏子やKONTAのソロのほうが書きやすい。バンドとしてやりつくしてしまったのかな。それがちょうど8年目(1990年)だった。ビートルズも8年目に解散しているからね」

 アルバム制作からツアーという流れを止め、バービーはそこから活動休止期間に入る。

「俺は活動休止中に『BICYCLE』っていうソロユニットを立ち上げて、ロンドンでレコーディングをした。コイソ君(小沼俊明・バービーボーイズのドラム)とFM大阪でラジオ番組をやって充実した時間を過ごしていました。

 結局、1年以上休んだ後のミーティングで、メンバー全員の足並みが揃わなかった。事務所がツアーのために用意していた渋谷公会堂で、解散することになった。解散発表自体が、計画的に整って世の中に出ちゃったように思われたかもしれないけれど、自分としてはまったく計画通りではなかった」

 バービーの解散コンサートは、泣かせるような演出もなく、ふだん通りのコンサートだった。何か意図はあったのだろうか。

「解散コンサートで涙を見せてしまうと、その作品は完成形になってしまうじゃないですか。バンドも完成してしまう。当時は将来的な再結成の話もなかったし、お互い連絡もとっていなかった。ただ、作品として生き残ってもらうには、解散コンサートの映像でメンバーがもう泣き崩れてしかたないっていう状況は、メンバー自らでバンドを棺桶に入れてしまうも同然だと思う。

 バンドが終わってしまって、楽曲たちまで葬り去るようなことはしたくない。そういう意味合いで、ああいうドライな感じのコンサートになったんじゃないかな。これは俺の想像だけれどね」