10代の女子高生が南米の音楽祭に出演!歌う喜びが芽生えた
二度にわたる『世界歌謡祭』の出場がきっかけとなって、八神さんは高校生の時に『第17回チリ音楽祭』(1976年)へも出場した。
「チリ音楽祭も、オーケストラをバックに歌いたいがために、応募したんです。カセットテープに録音した音源を、小包で送りました。今みたいにメールでのやりとりができなかった時代なので、毎日、郵便受けを見に行ってなにも届いていなくて落胆していました。何か月も音沙汰がなかったんですが、ある日、エアメールが届いた。あの時のワクワクって、思い返すと素敵だなって思いますね。今でもあの時の気持ちが蘇ります」
初めての海外旅行が、『国際音楽祭』への出場。慣れない地での歌唱はどうだったのだろうか。
「その当時の私は、ぜんぜん英語がわからなかったから、事務所が通訳もつけてくれた。初めての海外で歌うことに、怖さはまったくありませんでした。怖さよりも好奇心の方が勝っていましたね。でもいざ出場してみたら、私のようなアマチュアがいなかった。全世界から作家とプロのシンガーが出場していて、その中で歌ったんです。難しいなって感じながらもすごく良い経験でした」
コンテストへの出場を経て、20歳の誕生日に『思い出は美しすぎて』でプロデビューした。
「ちょうどフォークブームが落ち着いて、ニューミュージックが流行り始めた頃でした。同時期のアーティストと比べると、私はよくテレビに出されていたんです。当時はプロモーション戦略で、中島みゆきさんのようにテレビにはいっさい出演しないアーティストも多かった。私自身にはそんな意識はなかったのに、当時は完全にアイドル扱いをされてしまって。そういうのは得意ではなかったので、嫌だな……という思いを抱きながら活動していました」
80年代は、歌謡曲全盛期。TBS『ザ・ベストテン』を始めとして、日本テレビ『ザ・トップテン』など音楽番組も毎日のように放送されていた。その中で八神さんは、数多くの人気番組に出演していた。