なんか、めちゃくちゃシュールや! これこそが僕の目指している世界や!
そこで、久しぶりに文楽を見てみたら、「これはすごい!」と衝撃を受けました。相変わらず、太夫が大きな声出して訳分からんこと言うてて、三味線をベンベン弾いて、人形の横に人間の顔があるケッタイさは変わらない。けど、舞台美術も、ものすごくキレイやし、抽象画みたいで色彩感覚が素晴らしい。
訳は分からんけど“なんか、めちゃくちゃシュールや! これこそが僕の目指している世界や!”と、思えたんです。古臭いと思っていた文楽が、新鮮なものに感じられました。
いま、文楽にも外国人のお客さんが増えてますけど、彼らは言葉なんか分からんでも、喜怒哀楽や雰囲気は分かるから、深く感動してくれてます。
海外公演に行ったらすごいですよ! 数年前のことですが、ニューヨークのリンカーンセンターのローズ・シアターが1週間連続ソールドアウトでした。大阪に帰ってきて、あるインフルエンサーに報告したら、「そんなに、あちらには日本人が多いんですか」と言うから、「日本人はほとんどいません。大勢のニューヨーカーでまさにフルハウスでした」とお答えしました(笑)。
まあ、そんな経緯で文楽の世界に入り、太夫になる修業を始めました。最初に弟子入りしたのは、竹本春子太夫。その師匠が海外公演で留守にしてる間は、八代目の竹本綱太夫師匠のところに2か月預けられました。当時、神様みたいな存在だった太夫です。
「こいつは隠れて本ばかり読んでいるし、アカンのちゃうか、いっぺん試してみよか」ということで、東京での初舞台の『勧進帳』の番卒という役のお稽古をしていただくことになりました。長ゼリフがあるんですが、それを一日30回くらい稽古させられるんです。途中で声が出なくなりましたが、稽古は連日でした。
そしたらある日、とてつもなく大きな声が出たんです。じっと聴いていた綱太夫師匠が「おい、おまえ、太夫になれる!」と言いました。腹から声が出たんですわ。自分でもびっくりしました。そこで、僕の人生は決まったのかもしれません。
六代目豊竹呂太夫(とよたけ・ろだゆう)
1947年4月16日生まれ、大阪府出身。’67年、三代目竹本春子太夫に入門。祖父十代目豊竹若太夫の幼名・豊竹英太夫と名乗る。翌年4月、大阪毎日ホールで初舞台。’69年、春子太夫の逝去により竹本越路太夫の門下となる。’17年4月、大阪・国立文楽劇場にて六代目豊竹呂太夫を襲名。‘22年4月、切語り(重要な場を語る太夫に与えられる最高の資格)に昇格。‘24年4月、十一代目豊竹若太夫を襲名する。
豊竹呂太夫 改め 十一代目豊竹若太夫 襲名披露公演『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段
●大阪4月6日(土)~29日(月・祝)国立文楽劇場
●東京5月9日(木)~27日(月)シアター1010(足立区文化芸術劇場)
問い合わせ:国立劇場チケットセンター TEL. 0570-07-9900 TEL. 03-3230-3000 https://ticket.ntj.jac.go.jp/