この4月、文楽の大名跡「豊竹若太夫」を57年ぶりに受け継ぐ六代目豊竹呂太夫。十代目豊竹若太夫を祖父に持ち、世襲制ではなく、実力主義の文楽の世界を生き抜いてきた彼の「THE CHANGE」とは。【第2回/全2回】

六代目豊竹呂太夫 撮影/渡邉肇

 師匠の春子太夫が早く亡くなって、竹本越路太夫の内弟子になったんです。住み込みの修業はつらかったですが、逃げ出さずにすんだのは、後から弟弟子の貴太夫君が入ってきたからです。

 師匠の世話や炊事洗濯を分担できるようになったし、一緒に銭湯に行ってしゃべったりできたので、なんぼ救われたか分かりません。彼にも感謝しています。

 当時は稽古が怖かった。

 太夫の稽古は、師匠と向かいあって座り、床本という、台本を前にして語ります。できないところは、ほんの少しの語りの部分でも「違うわい! ワシの言うの聴いとけ」「違う!」「違う! もう一回!」と叱られながら、ひたすら繰り返します。稽古に付き合う三味線弾きさんも大変です。

 七代目の竹本住太夫兄さんとか、もう怖くてねぇ。僕は60歳を過ぎても、住太夫兄さんには「太夫辞めてまえ!」とか言われ、しょっちゅう怒られてましたよ(笑)。でも、あの稽古があったおかげで今があるなぁ、としみじみ思います。一日2時間も毎日怒ってくれるなんて、すごいことですよ。

 厳しい稽古は、付ける側も大変です。僕は弟子にそこまでできません。それを1週間くらいやってくれるんです。越路太夫師匠、数年前に亡くなった豊竹嶋太夫師匠、先代の呂太夫兄さんもそうでした。稽古中に言われたことを忘れないように、カセットテープでこっそり盗み録りしたものです。

 最近、やっと分かってきたことがあります。娘、老女方、婆などの人形の首によって、太夫の出す声の音程が違いますが、声の出どころと腹具合は同じなんです。僕はいま、76歳ですけど、ようやく何かに気づいてきました。文楽をやる気がなかった人間やけど、まだまだ伸びしろはあるんや(笑)!