間近で見ていた曽祖父のプロ意識

―――俳優になるとは考えていなかったとのことですが、芸術の道に進んでみたことで、おじい様やひいおじい様に対する思いが変わった部分はありますか?

「あります。曾祖父は亡くなる寸前まで、100歳まで唄っていたんです。僕はまだ幼かったですけど、よく覚えています。祖父は75歳のときに前立腺がんで亡くなりましたが、旅行に行くにもご飯を食べに行くにも、ずっと三味線を持っていました。

 もちろん好きだからでしょうし、もう体の一部だったんだと思います。病院で点滴を打ったり採血したりする必要もありましたが、腕は断固拒否していました。“これは俺の商売道具だ。針を刺すな”と。絶対に拒否。そうした祖父や曾祖父の姿を見ていました」

――すごいことですね。

「本当にすごいなと思います。“ふだんどういう思いで舞台に立っていたんだろう、しんどいときもあっただろうに、どうやって克服していたんだろう”と、今になって思います」