「たぶん、来年の桜は見られない」そう医者から告げられたら、あなたなら、どうしますか。昨年11月、主治医から、ステージ4のすい臓がんであると告知されたのは、テレビの情報番組のコメンテーターとしてもおなじみの森永卓郎氏。現在、書籍『書いてはいけない』(三五館シンシャ)が14万部超えのベストセラーとなっている経済アナリストだ。
柔和な笑顔を浮かべながら政権の暗部に鋭いメスを入れる一方で、著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)では、経済格差に苦しむ我ら庶民に対して、どう生きるべきかを懇切丁寧にアドバイスする。
そんな66歳の硬骨漢の人生における3度のチェンジとは? その長いものに巻かれない精神は、どのようにして育まれたのか? ラジオの生放送終了後の同氏に話を聞いた。(全5回/第2回)
社長と大ゲンカ「3か月後に会社を辞めることに」
私には3段階のチェンジがあって、最初のチェンジが2005年。2006年から私は大学に行った(獨協大学教授に就任)んですけど、その前はシンクタンク(政治、経済、経営、科学など多岐にわたる領域の専門家を擁し、政府や企業から委託された政策課題、経営課題を調査・研究をする専門機関)に勤めてたんですね。
それまで、ある程度、我慢していたんですよ。なんでかと言うと、子どもを育てなければいけない、家族を食わせないといけない責任感があったから。
だから多少、嫌なことがあっても我慢してた。でも、わりと他の人に比べれば、はるかに自由に生きてはきたんです。それでも一線を超えないっていうか、ギリギリでサラリーマンの枠の中で踏みとどまれるぐらいのところで動いていたんですね。
でも、2005年ぐらいに子どもが成人したんです。それまでは何が何でも子どもにだけは迷惑をかけられないっていうので、うちのかみさんもそうなんですけど、頑張っていたのですが、子どもが成人したときに肩の荷が下りたっていうか、もう少し自由にしていいんじゃないかなと思ったんですね。
高校大学って、すごいお金もかかるし、でも成人した後は、そんなにはかからないっていうか、大学も、自分でいざとなったらバイトしてでも行けるし。
で、シンクタンクをやめた。厳密に言うと、言いたいこと言って、事実上のクビになったんです(笑)。ちょっと血の気が多くて、今思うと若気の至りだったなって思いますね。
社長と大ゲンカをしたんです。当時の私は、社長より高い給料もらっていたんですよ。で、 社長と2人、社長室で話しているときに「森永、俺だってな、お前たちの給料を払うために一生懸命やってんだよ」って言ったんです。
私、キレちゃって「今なんか変なこと言いましたよね。俺らが一生懸命に働いて、あんた食わしてんじゃないですか」って言って、その3か月後ぐらいに会社を辞めることに。
今なら、そんなことは言わないですけど、まだ血の気の多い時代だったんで(笑)。