人生でいちばんウケた「架空漫談」を自身の武器に

 しかし、2012年に上京する前、大阪でピン芸人をしていたときに主軸にしていたのは、ぼやき漫談だった。

「ガラの悪い感じで、キレ芸をやっていたんですよ。人気アイドルに何の根拠もなく噛みついてキレる、みたいな。その時期、芸が人間を引っ張るというか、ずっと腹が立っていましたね」

――私生活でもキレていたんですか。

「大阪の宗右衛門町の外れのところにあるポプラっていうコンビニで夜勤をやっていて、チンピラとかキャバ嬢とかホストとか、ほんま態度悪いからキレてたし、帰り道もずっとイライラしてて。そのイライラを全部ネタにぶつけていたんです。
 自分から進んで腹の立つことを見つけに行こうとしていた。そのあと、2015年に架空漫談にしてから、日々のことに腹が立たなくなったんですよ。穏やかな気持ちですね。ある程度は芸が引っ張っているところはある気がしますね」

――架空漫談を確立したきっかけは?

「2015年にAマッソ主催の『バスク』というライブで、"富山県にホイップクリームが流れる滝がある”という漫談をして、ほんまに芸人人生、大阪時代も含めていちばんウケたんです。それで架空漫談に一本化しました。浅草で修行して、漫談をうまく笑ってもらえる方法を身につけていったりしたこともよかったのかもしれません」