「就活は失敗」、「スポンサー探し」から始まった田原総一朗の番組作り

 敦子は「家族はハラハラです。とにかくいつも家で父のことを心配していました」という。いつもギリギリを攻め続けるジャーナリスト・田原総一朗の娘に生まれるというのは、そういうことなのかもしれない。

当時を振り返る田原総一朗さん

 そんな総一朗さんの攻めの姿勢を産んだ「THE CHANGE」は、実は「就活の失敗」だった。

「僕は大学を卒業して、朝日新聞、NHK、TBS、ニッポン放送、北海道放送……全部落ちた。いま思うとこれが良かった。もし受かっていたら普通に定年まで勤めていただけだろう。

 そして、映画の制作会社を経て東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に入ったの。当時のテレビ東京は“テレビの番外地”と言われていて誰にも相手にされなかった。そういう会社に入ったのが良かった」

 当時のテレビ東京では、何か番組をやりたければ、自分でスポンサー探しからやらなければならなかったという。