上京で生活が激変、「東京には自然が無いな」
中川さんは曲作りにのめりこんでいく。そして19歳の時に自身が作詞作曲をした「I WILL GET YOUR KISS」で見事にシンガーソングライターとしてデビューした。
この曲は大反響を呼び、第34回日本有線大賞新人賞を受賞。中川さんの音楽家人生はまさに順風満帆なスタートを切った。ところが当時の中川さんの心には、そんな華々しさからは想像できない感情が芽生えていたようだ。
「デビューが決まって仙台から上京してきた時に、事務所がある東京の海沿いのエリアに住んでいたんです。でも東京の海は、自然が豊かな地元の仙台の海と比べると水の色が全然違っていて、暗く濁っているように見えました。街には緑が少ないし、“東京には自然が無いな”と思って暮らしていたんです。
ビルの間から見える太陽と青空だけが僕の気持ちを開放してくれていたんですが、それ以外に目をやると、住んでいたワンルームも決して快適ではなかったですし、レコーディングをしにいくスタジオも、そこに行くために乗る地下鉄も、僕にとっては“暗い空間”という印象しかありませんでした」
シンガーソングライターになるという夢を抱いて上京し、その夢を見事に実現させた中川さんだったが、東京での生活がその心へ徐々に影を落としていった。中川さんは続ける。
「当初は音楽を作るっていうことがとても楽しかったので、それほど気にしていないつもりだったんです。でも体は正直なもので、ひどい肌荒れを起こしたり、昼夜が逆転したりする不摂生な生活になってしまいました。
そのうちに、“いつまでこういう生活を続けられるんだろう”、“このまま行ったらどうなってしまうんだろう”と、どんどん不安な気持ちが心の中で広がっていきました」
体調を崩し、精神的にも追い詰められていった中川さんだが、こうなってしまったのには、当時の活動状況が大きく影響していたようだ。