“アクションの神様”千葉真一さんとの共演が、うれしかった

 デビュー作は東映に入って2年目、『あゝ忠臣蔵』(フジテレビ系)というドラマです。山村聰さんが大石内蔵助で、僕は四十七士の間新六の役でした。

 それが終わると、丹波先生が主演の『キイハンター』(TBS系)にレギュラー入りします。大変な人気番組でしたから大きなチャンスでした。

 先生は、「お前に芝居について教えることは何もない。俺に教えられるのは霊界のこと、それからもうひとつ、催眠術だ」と(笑)。 

 僕が運転手を務めているとき、後ろから霊界について一生懸命しゃべるんです。それも毎日。片方の耳から入ったものが、もう片方の耳から抜けていましたけど。

 でも、俳優として丹波先生は尊敬できる方です。よく、先生がセリフを覚えず、カンペを読んでいるといった話が面白おかしく語られますよね。そんな噂が流れるのは、わざといい加減な人を装っていたからです。

「おーい、宮内、台本どこだ」「俺、どこに出ているんだ?」といかにもちゃらんぽらんにやっているようなふりをしていた。前の回の台本を持ってきて、「おい、これじゃないのかよ」と言ってみたりする。そういうポーズを作る。でも、台本を覚えていないなんてことはない。『人間革命』(73年)や『砂の器』(74年)など長いセリフが多い作品でも完璧に頭に入っていました。

 そして『キイハンター』では、“アクションの神様”千葉真一さんとの共演が、うれしかった。ただ、「負けないぞ」という気持ちはありました。

 千葉さんは後輩の面倒見がいい方で、例えばアクションが1から10まであるとしたら、5ぐらいまでは教えて、“あとは自分で見て盗め”、そういう指導の仕方でした。それも、単に見学しているだけじゃなくて、カメラの後ろから見ろと。つまり、テレビ画面や映画のスクリーンの四角い枠内でどのように見えているかを意識しろということでした。

宮内 洋(みやうち・ひろし)
1947年6月14日、東京都生まれ。1968年東映ニューフェイスに。以後、多くのテレビドラマ、映画に出演。80年代には舞台に活動域を広げ、新宿コマ劇場、明治座、御園座などの大舞台でキャリアを重ねる。特技は、空手(三段)、柔道(初段)、剣道(三級)、乗馬、スキューバダイビング。料理も得意で、“うまいツマミを作りたい”という理由で調理師免許も取得。得意料理は餃子で、人を招いて大規模な餃子パーティをひらくこともある。