国際通りで見つけたポスター
「中学2年のとき、地元・沖縄の国際通りを歩いていたら、ポスターに目が留まりました。それで、1993年9月、福岡ドームでマイケル・ジャクソン来日公演があると知ったんです。そのポスターを見た瞬間、“行かなきゃだめだ!”と決心し、母を説得して一緒に見に行くことにしました。母もマイケルのファンだったのは、ラッキーでしたね。確か、旅行会社のツアーで長崎のテーマパーク、ハウステンボスとセットのツアーだったと思います(笑)。
その時見たのは、『Dangerous』のツアーですが、あのときのマイケルの登場の仕方なんて、もう革命なんですよ。私の席は本当に末席で、豆粒くらいにしか見えなかったはずなのに、マイケルが登場した瞬間マジで度肝を抜かれたし、それと同時に私の心臓が身体から飛び出して地球2周して帰ってきたと思うくらい高鳴りました。
5年生で見た、あの『ムーンウォーカー』で絶叫していた人たちの気持ちが分かったし、こんなに離れていても私の心をここまで掴んで離さないマイケルってすごいなと思いました。その瞬間です、“オレは、アメリカに行く”って目標が定まったのは」
仲宗根さんは、まるで目の前で出来事が起こっているかのように表情豊かに自分の物語を話してくれる人だ。その距離感の近さや彼女が元来備える親しみやすい雰囲気は、誰も頼れない異国で生きていくにも大いに役立ったことだろう。
「アメリカに行くと決めてからは、英語の勉強もすごく熱心に取り組みました。それまでは低空飛行だった成績も、アメリカに行きたい一心でAランクに(笑)。何事も興味があることには全力を傾けるし、それ以外はゼロになっちゃう、かなり極端な性格なんだと思います。
アメリカの文化を少しでも早く体験したくて、高校時代に交換留学へ行きました。アトランタなどの大都市を希望したんですが、実際にはのどかな田舎町で。でも、そうした街にも歌ったり踊ったりするのが好きなクラスメートはいるんです。友達が歌うそばで私が踊ったりして、発表会などでも披露しましたね。懐かしいなぁ。19歳のとき、本格的に渡米して以来LAを拠点にしていますが、今でもその時のホストファミリーとはいい関係が続いています」
(つづく)
仲宗根梨乃(なかそね・りの)
1979年6月11日沖縄生まれ。マイケル・ジャクソンに憧れ、エンターテイナーになる事を夢みて19歳で渡米。バックダンサーとしてブリトニー・スピアーズ、グウェン・ステファニーのワールドツアーや、ジャネット・ジャクソン、ミッシー・エリオット、ジャスティン・ビーバーなど数々のアーティストと共演。2008年、SHINeeのデビュー曲『Replay』でコレオグラファー(振付師)としてデビュー。これをきっかけに、多くのK-POPアーティストの振付依頼を受ける。2009年には少女時代のシングル『GENIE』の振付を行い、彼女たちの長い脚を生かした“美脚ダンス”が日本でも話題に。その後も数々の振付やコンサート総合演出を行う。現在もLAを拠点に審査員や、舞台、TV、女優業とさまざまな分野で活動中。