SHINeeを皮切りに、少女時代やBoA、NCT127などの振り付けを担当

 SHINeeの振り付けを皮切りに、少女時代BoANCT127などの人気アーティストの振り付けやライブの演出を次々と手がけるようになっていった仲宗根さん。韓国との往来が増えると、今までまったく気にしたことがなかったことに興味を持つようになったと瞳を輝かせた。

「はじめは、“韓国に行ける、ラッキー!”という気持ちで参加したところもあったんです。でも、何度も韓国に行くうちに、自然と知人や友達も増えていきました。すると、自分がいかに日本や韓国、そして両国の関係性や歴史に無頓着で、無知だったか思い知らされるようになったんです。何も知らず、知ろうとすらしてこなかった自分が恥ずかしくなりましたね。

 10代、20代は自分の興味あることだけに集中してがむしゃらでしたが、誰かを導く立場になったとき、もっと広い視野と知識を持たなければいけないなと思うようになりました。いまは若かりし頃の無知を取り返すように、いろんな本を読んだりして知識を吸収しています」

 成長と進化のために、突っ走ってきた仲宗根さん。30代半ばに差し掛かるころ、心身の変調を感じるようになったという。これも、大きな“THE CHANGE”だ。

「ダンスは、ある意味で内なる思いを隠しながら、そのエモーションを身体で表現することだと思います。それとは逆に、演技は自分をさらけ出さなければ始まりません。ダンスだけをやっていたときは抑えていた、つらい気持ちや過去が、演技という表現に触れたことで、もうこれ以上は隠せない、もっと自分と向き合いたいと思うようになりました。

 実は、ダンサーとしては身体が固いほうで、高いレベルの踊りを求められるプロの世界で、かなり自分の身体を酷使していたんです。傷む体に無理をさせてきた結果、いつしか心身の疲労が蓄積し、悲鳴を上げるようになっていました。プロのダンサーはとても過酷なのに、プロの野球選手やサッカー選手などのアスリートのような身体をケアしてくれるスタッフがいないのも問題を深くしていたと思います。バックダンサーという職業の在り方そのものに悩むことも増えましたね。

 心と身体のバランスが少しずつ狂い始め、いつしか“踊りたくない”と思う自分がいることに気づいたんです。すごくショックでしたよ。だって、子供の頃からずっとそれだけを追い求めて、人生をかけてきたんですから。おそらく…、2009年にマイケルが旅立ったことも大きく影響していると思います。“バックダンサーとして踊りたい人は、もうどこにもいなくなってしまった”という喪失感がありました。心の支えや目的を見失いロスになり、病んだ時期も正直ありましたよ」

(つづく)

仲宗根梨乃(なかそね・りの)
1979年6月11日沖縄生まれ。マイケル・ジャクソンに憧れ、エンターテイナーになる事を夢みて19歳で渡米。バックダンサーとしてブリトニー・スピアーズ、グウェン・ステファニーのワールドツアーや、ジャネット・ジャクソン、ミッシー・エリオット、ジャスティン・ビーバーなど数々のアーティストと共演。2008年、SHINeeのデビュー曲『Replay』でコレオグラファー(振付師)としてデビュー。これをきっかけに、多くのK-POPアーティストの振付依頼を受ける。2009年には少女時代のシングル『GENIE』の振付を行い、彼女たちの長い脚を生かした“美脚ダンス”が日本でも話題に。その後も数々の振付やコンサート総合演出を行う。現在もLAを拠点に審査員や、舞台、TV、女優業とさまざまな分野で活動中。