「負け越したら引退だ!」と師匠から引退勧告

 15歳で藤島部屋に入門した貴闘力の相撲人生が、終盤にさしかかっていた2000年。32歳で迎えた春場所は、現役引退のピンチに立たされていた。

 1月の初場所は体調不良が影響して負け越して、春場所の番付は、負け越せば、十両陥落が決定する前頭14枚目。場所前には、師匠(二子山親方=元大関・貴ノ花)から、「春場所で負け越したら引退だ!」と引退勧告まで受けた。

 師匠の息子(若乃花、貴乃花)と同世代で相撲を取ってきて、ファイトあふれる相撲で沸かせてきた貴闘力が、十両に下がった姿をファンに見せたくない。そうした師匠の親ごころからの言葉だったのだが、貴闘力は納得できなかった。

「負け越した初場所の千秋楽、自分の動きが戻ってきていることを感じたんですよ。もうベテランの域かもしれないけれど、完全燃焼した、なんて気持ちはサラサラなかった。逆に、“辞めてたまるか!”という思いだったね」

 こうして始まった春場所は、初日から12連勝。12日目の武双山(現・藤島親方)戦は、土俵際まで追い込まれながら、捨て身の張り手が決まった逆転勝利だった。

 そして13日目は、2敗の横綱・武蔵丸(現・武蔵川親方)との対戦。この一番に勝てば、貴闘力の初優勝が決まる。ところが、横綱のパワーに屈して、初黒星を喫してしまう。

 この場所の5日目、横綱・若乃花が28歳の若さで現役引退を発表した。若貴、貴闘力らが所属する二子山部屋と、武蔵丸、武双山、出島(現・大鳴戸親方)、雅山(現・二子山親方)らがいる武蔵川部屋とは、つねに優勝を競い合うライバル関係にあった。

「だからこそ、武蔵丸に勝って優勝したいという気持ちは強かったけれど、そううまくはいかなかった。14日目には、横綱・曙戦が組まれてね。『曙キラー』と言われるほど、オレは曙には自信があったのよ。普通、幕尻の力士が2日連続して横綱戦が組まれることはないんだけど、“こうなったら、絶対(優勝を)決めてやる!”と、ムキになったのが悪かったのか、相手にしてやられちゃったよ(笑)」

 まるで昨日のことのように、当時を懐かしむ貴闘力。

 けれども、この2連敗は貴闘力にとって、いい休息を生んだ。

「連敗した夜、この場所初めてぐっすり眠れたんだよね。『強気』が売りのオレが眠れないなんて、信じられないと思うけれど(笑)、かなり気持ちが高ぶっていたんだろうね」

 千秋楽の対戦相手は、3敗をキープしている新関脇の雅山。武蔵川部屋所属で、「平成の新怪物」の異名を持つ雅山は、入門から2年弱の22歳だ。

「“こんなチャンスは、二度とやってこない”と緊張する反面、取組が近づくにつれ、“勝っても負けてもどっちでもいいや!”と開き直る自分がいましたね」

 貴闘力、一世一代の勝負の瞬間がやってきた。

(つづく)

貴闘力忠茂(たかとうりき・ただしげ)
1967年兵庫県出身。幼いころから力士に憧れ、中学卒業後、藤島部屋(のちの二子山部屋)に入門。1990年9月場所で新入幕し、突き・押しによる気迫あふれる取組で土俵を沸かせた。2000年3月場所では、32歳にして、史上初の幕尻優勝を果たした。2002年の引退後は、年寄・第16代大嶽を襲名し、親方になるが、相撲協会を。2010年に、焼肉店「焼肉本店ドラゴ」を開店。